アホと戦う可能性がある人物の特徴として、次の点が挙げられる.
・正義感が強い
・自信にあふれる
・責任感が強い
・プライドが高い
・おせっかい
【正義感が強い】
正義慇の強い人とはどういう人か。
物事を判断するときに善悪を最上位に置いている人のことだ。
時代劇を見すぎて育った私がその代表だった。
正義感を持つ根拠は、最後は正義が勝つと思っていることだ。
おてんとう様は見てくれている。
どこかからスーパーマンやアイアンマンが飛び出してかざぐるまやしちきて助けに来てくれる。
自分はヒーローである。
水戸黄門が風車の弥七を先導して助けに来てくれる。
大岡裁きが悪を何とかしてくれる。
学生時代まではこの感覚で許されるかもしれないが、現実社会に出てからは考え直したほうがいい。
どうやらどこにも超人的ヒーローが現れて、正義の鉄槌を下してくれる事例はなさそうだからだ。
アメリカでは有能な弁護士を雇う資金力があれば、どんな犯罪でも有利な判決に持っていけるといわれる。
つまり、ある意味、お金で正義が買えるともいえる。
インドやインドネシア、ロシアに行けば、いまだに交通違反のもみ消しをするときや、ビザの取得等の官僚の仕事を有利にするときなど、チップのように賄賂を要求される。
確かに日本はここまでひどくはない。
しかし、正義は常にまかり通るわけではない。
もちろん悪を奨励しているわけではないが、最後は正義が常に勝つというナイーブな考えも奨励しない。
東西を問わず、スーパーヒーローがフィクションの世界であれだけ求められるのは、現実にそういう「スカッとする」ものがないことの裏返しだ。
また、正義は人の数ほどある。
その正義を完璧に数値化して公平に判断するのは不可能だ。
人生は不条理だと思った方がいい。
そもそも「条理」は人間が考えた勝手な幻想ともいえる。
あなたの思う通りに世の中はできていないのだ。
神や仏はいるかどうかわからないが、そういう絶対的な存在が常に条理にかなった鉄槌を下してくれるわけではなさそうだ。
世の不条理を受け入れ、まかり通らないのを百も承知で正義とともに殉じる覚悟なら、それはそれでいい。
しかし、そこまでの覚悟がないなら、善悪を最上位において、正義感を世の中にむやみやたらに要求することは避けたほうがいい。
正義感から他者と無駄な評いをすることはもってのほかだ。
なぜなら、相手が勝つ場合が結構あるからだ。
私自身、少し「正義感」が強いかもしれません・・・これが良い方に働くといいのですが、ムキになって揉めたりしたこともあります(笑)。正義感もほどほどがいいのかもしれませんね。
【自信にあふれる】
いろんな意味での自信である。
自分が正しいという自信。
相手を論破できるという自信。
相手に権力闘争で勝つ自信。
相手に成果で勝つ自信。
根拠のない自信もあれば、実績に基づく根拠ある自信もあろう。
何事もカラ元気であっても自信を持って取り組むべきだと思うが、自信家が相手を論破しようとするときほど、相手から見て屈辱的なことはない。
私(著者)は金融庁担当の政務官や自民党の財金部会の副部会長や国会の財金委員会の理事をやっていた頃、金融界の人たちとの意見交換の場をたくさんもうけていた。
金融界の実力者は学生時代からエリートコースをそのまま歩んできたような人が多い。
腹の底では政治家や官僚を馬鹿にしている人が多いのが、鈍い私でも感じられた。
「官僚はまだしも政治家なんて経済も金融も何も知らなさといだろ」という感じで、意見交換でも自信満々に国会や与党の法案や政策を諭そうとする人が多かったのだ。
上から目線の自信家に論破調で来られたとき、こういう人は何を考えているのだろうかと思った。
われわれに影響を与えたいのか?
馬鹿にしてスカッとしたいのか?
教育してやるから言うことを聞けという、自分の部下にするような気持ちなのだろうか。
一緒にいた先輩たちが言葉には出さないが「あいつらにちょっとお仕置きをしてやろうか」という感じの顔になっていたのをよく覚えている。
自分のほうが頭がいい、知識がある、と思っている人間のやる行為は、明らかに逆効果な場合が多いのだ。
頭がいいかもしれないが、愚かなのだ。
加えて、自信家はどんどん脇が甘くなっていく。
自信を持って成功してきた経験が次への準備を怠らせる。
自信があるから未来の想定も甘くなりがちだ。
相手を不快にさせるだけでなく、相手の出方を含めた未来の想定をなめてしまい、自分の能力をさらに過信していく。
こうして悪循環になっていく。
自信のあるときこそ、自信のある人こそ、謙虚にそして危機感を持って事に対応すべきなのは洋の東西、何事にでも言えることだ。
私の好きな言葉です、「自分はまだまだ!」と思わせてくれる言葉。詳しくは ↑
【責任感が強い】
これも一種の正義感だが、背景にあるのが自分の正義ではなく、組織のためのものであるから献身的であり、身勝手な正義よりレベルが高い。
人事や業績や戦略に責任を感じているから、他者と戦ってしまうのだ。
こういう人がいてくれたら組織にとって奇跡だといえるだろう。
身を挺して組織のために組織内のアホに立ち向かう人なんて普通はなかなかいない。
でも、やり方に問題があると思う。
どんな理由だろうが、アホに思える相手とは戦ってはいけない。
それが自分の信念のためであろうが、所属している組織全体のためであろうが、彼から見たら、向かってきているという事実は同じである。
アホは組織全体のことなどそんなに考えてはいない。
そもそもだからアホなのだ。
責任感を感じているなら、組織のためならば、戦ってはいけない。
相手を気持ちよくさせて組織のために誘導しないといけない。
嫉妬社会・日本では、能力ある本来なら出世してほしい人が、多くのアホに結託され、途中で足を引っ張られ、引きずり下ろされてしまいがちだ。
アホは権力にすり寄ってきた場合が多いので、その分彼らは権力の中枢に発信力を持っている。
そういう人間を敵にして、怒らせては組織のためにならないのだ。
他者を組織全体のために誘導するというのは相当な高等戦術であり、本当にそれができたら素晴らしいが、できないとしても、立ち向かって怒らせて制御不能にしてはならない。
安定社会が人や組織を腐らせるのかもしれません。同じ考えを持つ人ばかりの集まりに、新しい発想や意見が出てくるはずもなく、どんどんと腐っていきます。日本のGDPの成長がないのも、この「閉鎖空間」の慣れから来ているのかもしれませんね・・・(涙)。
【プライドが高い】
プライドというものはほとんどの場合、邪魔にしかならない。
功を於するプライドの持ち方は、自分の仕事の質に対して持つプライドのみとも言ってよい。
「プライドが高い」と言われるたいていのケースは他人によく思われたいという思いが強いにすぎない。
相手になめられたと感じ、時に怒ったり、機嫌を悪くしたりするのは、このタイプの人間だ。
自分の仕事の評価において、大事な相手になめられるのは、確かにいけない。
しかし、「質の高い仕事をする」というプライドを持ち、手抜きをしたい自分と戦いながら仕事を続けていけば、相手が馬鹿にしてなめてくるようなことはないし、それでもなめてくるような相手とは仕事をしなければいい。
プライドやメンツをつぶされた?
それがどうした?
そんなものどうでもいいのである。
【おせっかい】
これもある種の正義感ともいえる。
他者を正してやりたいとの気持ちだ。
他人の喧嘩の仲裁に入るだけでなく説教もしてしまうようなタイプの人である。
親切にもアホを是正しようと思ってしまうのだ。
残念ながら、すでにいい年になったこういう人物を正すのは不可能である。
いくら見事に論破しても、こういうアホたちが自分の考えを変えるとは思いにくい。
美くしく論破されたら、あなたに対する恨みが増すだけだろう。
次は姑息な手を使ってでもリベンジしてくるかもしれない。
その前に、誰から見てもいくら見事に論破したと思われても、アホは論破されたと思っていない可能性が高い。
言いがかりをつけられたとか、屁理屈で言いくるめられたと思って、被害者意識を持ちながらあなたを憎むことだろう。
おせっかいの傾向のある人は、たいていはお人よしで純粋な人が多い。
ある意味、自信家であり、自分は問題を解決できると思っているから、いろいろとおせっかいという形で介入してくるわけだ。
しかし、この世の中、自分がコントロートロールできることは意外に少ない。
私のモットーでもあるが、「自分がコントロールがきることだけに時間もエネルギーも集中するべき」だ。
他人の気持ちはコントロールできないですから。
どれだけ説得しても、どんなにわかったと口に出されても、わかったような顔をされても、まあ「万が一」でも0.01バーセントでもわかってくれたらもうけくらいに思っておくほうがいいと思う。
つまり、「万が9999」は憎まれて倍返しされる可能性が高いので、おせっかいほど危険なものはない。
人のことをあれこれと考えすぎない方が良いです。あの人がどうのこうのと、いつまでも考えていると自身の「人間性」が損なわれます。それなら、自分の「時間」をもっと有効に「成長の為」に使う方が有意義ですよね。
↓ 参考書籍
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