頭も「ほどよい運動」と「休養」を

心理・思考・時間


健康で活動的な身体を維持するためには適度な運動と休養とが必要なように、心にもそれらが必要である。


だから、心を和らげる方法を学ぶこと、また思考や分析、計算、あるいは過去の思い出といったものから心を解放するすべを学ぶことは大切である。


とくに、現実を自分に不利に解釈するのをなるべくやめようとしているときには、どうしても養っておかなければならない技術だ。


頭も身体と同様、つかい過ぎると一種の病気になってしまう。




著者のもとには「不眠症」で悩んでいる人たちが大勢相談にくる。


彼らは世の中のことをとことん分析しなければ気がすまないたちで、安らかに、何も考えずに時を過ごすことができない。


頭をカラっぼにし、ありのままの自分になって、その自分を体験しているときこそ、現実を最高に楽しむことができるというのに。


あなたにとってこれまでで一番すばらしい体験を思い出してみよう。


その体験がそれほどまでに心に残り、特別なものとしてあなたの中に残っているのはなぜだろうか。


それはあなたが体験そのものに没頭していて、事が起こっている間じゅうずっと、自分が何を考えているのかさえも意識していなかったからに違いない。



ここ数年、瞑想に強い関心を持つ人が増えてきている。


これは、世の中の目まぐるい動きに対し、頭を休ませたいという私たちの自然な願望のあらわれにほかならない。


私たちは、頭を休ませ、そしてまた再び元気に働くことができるような自己調整法を学びたいのである。


瞑想は、それは、自分の秘伝を弟子に授けた昔のマスター(親方)たちのような専門の師がいて、その師とともに修養し、時間と金をつかって奥義に達する、といったややこしいものではない。


過労になった頭をリラックスさせ、静かにさせることによって、頭の緊張とストレスとをほぐすという、しごく簡単なことだ。


そのために、諸々の考えが消えるまで、ある色に神経を集中させたり、あるいは一つの音をゆっくりと集中して繰り返して聴いたりする。


心の領域に横暴にも何か別な考えが入り込んできたなと感じたら、すぐにその考えの侵入を阻止しなさい。


瞑想の指定時間が終わるまでに、文字通り追い出してしまうのだ。


瞑想の時間は、初心者で15秒間だが、しばらく訓練すれば20分間まで延ばすことができる。


この種の心のリラックスは、思い立ったときすぐにやることができる。


定期的に身体を休ませるのと同様に大切なことである。


↓ 参考書籍

コメント