人間にとって遊びは仕事以上に大切なことといえるが、遊び心とは子供心であると私(著者)は思う。
人間には三つの心があるというが、遊んでいるときの心を自分で思い起こすと、そこにあるのは無邪気で一心不乱に何かに没頭する子供心なのだ。
人間は誰もが「子供心」から人生をスタートさせる。
そして成長して「大人の心」をもつようになる。
そしてやがては親になって「親の心」をもつようになる。
交流分析という心理学理論では、人間はいくつになっても、この三つの心をうまく使いながら生きているという。
子供に接するときは親の心で接する。
仕事をしているときや恋人と語らうときは、おおむね大人の心だ。
問題は子供の心を大人がどう使うかだ。
子供たちと一緒になって遊ぶときに、子供の心に立ち返ってみるのもいいだろう。
だが、最も効果的なのは、あらゆる遊びを子供の心で遊んでみることだ。
たとえば恋人と戯れるとき、大人の心ではなく、無邪気な子供の心になって接してみると、そこには大人の心とは違った純粋な遊び心が生まれる。
仕事をするときも、子供心で無心に没頭したほうが、よい成績が上げられる。
大人の心だと、そこに不純な要素が入り込みやすい。
また、子供は何でも遊びにしてしまう特殊技能をもっている。
大人の心を持ち始めた少年少女に「お使いへ行ってきて」と頼むと「お駄賃をいくらくれるか」という話にすぐなってしまう。
だが、小さい子供は、頼まれたことを、ちゃんとやり果たせる自分に感動するためだけに、率先してお使い役を買って出る。
「ねえ、ぼくに行かせて、行かせて」。
こういう無償のやる気こそが、人間の能力を最大限に発揮させる。
大人になってからでも、それは十分にできることだ。
過去に人類史上に残る偉大な発明発見の多くが男性の手によってなされてきたことの理由は解明されていない。
「男性のほうが優れているからだ」
という理屈は、とても納得のいくものではない。
しかし「男子社会で女子が疎外されてきたから」
という説も簡単にうなずけない。
だが、ここに子供心をもってきて、「男性は子供心を発愧しやすい」と考えると、にわかに信憑性を帯びてくると思われないか。
女性は思春期以降、産む性、育てる性として、大人の心と親の心に支配されるのだ。
子供の心は、母性という役割からふさわしくない。
一方、男のほうは大人の心と親の心では、闘争ばかり始めて困る。
そこに自然の摂理が働いて、「同じ闘争なら子供心でやりなさい」、こんな自然の配慮が働いたのではないか。
ところが子供の没頭性、うつつを抜かす集中力は、発明発見に向いていた、こう考えると納得がいくように感じられる。
少年の心を失わなかった作家、澁澤龍彦は「遊び」について、次のような言葉を残している。
「あらゆる大人の世界の禁止から解放された、自由なナルシシックな子供の世界、時間のない、永遠の現在に固着している子供の遊びの世界は、やはり私たちの想像し得る、最も理想的な黄金時代といってよいのではあるまいか」(『人形愛序説』第三文明社より)
それで思い出すのは丹波哲郎さんだ。
霊界の宣伝マンを自称する丹波さんの「あの世の話」は、わかりやすく面白くてためになった。
はじめの頃は「どこまで本気なのか」と眉につばをつけていたが、今は人々の役に立つと思うようになった。
なぜなら、病気で死んでいく人にも、今この世で苦しんでいる人にも、勇気を与え、明るくさせてくれるようなメッセージだからだ。
なぜ、そんなことを始めたのか知らなかったが、なんでも小学校一年生のときに餞頭に当たって死にそうになった。
そのときに臨死体験をしたらしい。
それがきっかけで、この世とあの世のことを考え、霊界の宣伝マンを買って出るようになったということだ。
亡くなる前にも二回目の臨死体験をされたようだが、それまでのベースは小学校のときの体験だったそうだ。
何となく私がうなずけるのは、子供の心でこの問題に接していたように感じられるところだ。
つまり遊びにかこつけているのだ。
遊んでいるといっていいのかもしれない。
だが‘遊びにこそ真実が含まれるという点で、この丹波さんの霊界の話はにこにこ笑って聞いても心に残るのである。
死んだらどうなるのかなど、本当のところは誰にもわからない。
わかっている人がいても、大多数は理解できないから、結果は同じだ。
ただ、丹波さんのような人たちの話を聞くことは、この世を楽しく正しく生きるうえでプラスになるのだ。
「この世とあの世がつながっている以上、この世の言動はすべて、あの世に伝わるさ。だから現世での生き方が重要なんだ。といっても、特別なことをする必要はない。私が常々いっているだろう。明る<、素直に、あたたかく、心に愛を育み、他人にそれを降り注ぐことだ。そうすれば快適で、すばらしいあの世が待っているぞ」
生きること、死ぬこと、究極の遊びはこれなのだ、という気にさせられる。
↓ 参考書籍
コメント