【行動の鏡】 言葉の奥に隠された真実

心理・思考・時間


【目を何秒閉じたかに注目せよ!】

1つゲームをしてみよう。

このゲームには相手が一人必要だ。

誰かに頼んで手伝ってもらおう。

このゲームでは、相手に三つのマークのうち一つを思い描いてもらう。

その間、あなたはたった1つの「しぐさ」をじっと観察するだけで、相手が何を思い浮かべたかを当てられる。

相手の正面に座って、こう言おう。

「次の三つのシンボルのうち、一つを頭の中で描いてください。

・月 

・キューピットの矢が刺さったハート

・星 

どれにするか決めましたか?

ああ、私には言わないでください。

では、目を閉じて、実際に紙の上に絵を描くように、選んだマークを頭の中で描いてください。

描き終わったら、目を開けて」


たったこれだけで、相手が目を開けたとき、あなたはかなりの確率で相手が何を思い描いたか言い当てることができる。

そのトリックは、シンプルながらじつに賢いものだ。

「相手がどれくらい長く目を閉じていたか」だけに着目すればいい。

目を閉じていた時間が短ければ、相手が描いたのは「月」だろう。

短くもないがそう長くもなければ「矢が刺さったハート」。

そして、少し長めに目を閉じていたならば、相手はかなりの確率で「星」を描いたと考えられる。

コツは、自分も頭の中で矢が刺さったハートを描いてみて、どれくらい時間がかかるか確認することだ。

これをもとに、ほかの二つを描く場合にかかる時間の誤差から正解を導き出すことができる。

たとえば、相手が目をつぶっている時間が、自分がハートを描く時間よりも長かったら、星を描いている可能性が高い。

短ければ、おそらく月だろう。

回数を重ねていけばうまく感覚がつかめるはずだ。

このゲームで正解する確率は三分の一である。

もし正しく言い当てることができたら、相手は驚きを隠さないだろう。

あなたはまさしく相手の「しぐさを読んだ」ことになる。

このゲームは、身体言語を読み取る「ボディー・リーディング」においてもっとも大事なことを教えてくれる。

それは、私たちは口だけでなく、身体でも何かを語っているということだ。

たとえば家族や友人、さらには赤の他人でもいい。

言葉がなくても顔さえ見れば、その人が今どんな気分なのかがわかることが多いだろう。

怒っているのか、退屈しているのか、悲しんでいるのか、それとも機嫌がいいのか・・・

私たちはそれを、相手の身体が発する小さなメッセージから感じ取る。

たとえば遠くを見る目、下がった口角、右まぶたのひきつり、首に添えられた手、特徴的なあごの動き、唇のしわなどは「何か」を語っているはずだ。

また、身体言語は、けっして身振りや姿勢や身体の動きだけを指すのではない。

もっと幅広い。

たとえば、服装、アクセサリー、髪型、触ったときの感触・・・すべてが「何か」を語っているのだ。

【なぜ?あの人は目を合わせないのか?】


人間のコミュニケーションについて誰よりも深く研究した人物といえばオーストリアの心理学者ポール・ワツラウィックだろう。

彼は著者にとって英雄の一人だ。

「人はコミュニケーションしないでいることはできない」という有名な言葉で知られる人物である。

私たちは何をしていようと、絶えず周囲に何かを伝えている。

たとえ一言もしゃべらなくても、それ自体が一つのメッセージとなる。

知り合いがたくさんいる部屋に入っていくとき、誰にも挨拶せず、目も合わせず、話しかけたり笑いかけたりもしなければ、それは「私は機嫌が悪いです」と言っているのと同じだ。


それに、たとえ笑顔や目線を向けなくとも、そこには必ず何らかの身振りや表情が表れる。

身振りや表情は、大事なことを強調し、あいまいなことを明確にしてくれるコミュニケーションの重要なツールだ。

ためしに、ジェスチャーを交えずに、駅までの道を説明してみてほしい。

かなり難しいはずだ。

腕や手が動かないよう相当に意識しなければならないだろう。

私たちは、ほとんどのしぐさを無意識のうちに行っている。

無意識のしぐさは当然、コントロールすることが難しい。

身体言語が「言葉よりも本心に近い」といわれるのはそのためだ。

言葉で嘘をつき通せても、身体にそれを出さないようにするのはかなり難しい。


普段無意識に行っている身振りや表情を急に意識してやろうとすると、今までいかにそこに意識を向けていなかったかがわかる。

そして一度意識してしまうと、身体言語はぎこちなくなり、他人の目には滑稽にさえ映ってしまうのだ!

たとえば、ある人が身体言語セミナーを受講したとしよう。

そこでセミナーの講師が、「胸の前で腕を組むのは距離をとりたいという拒絶のサイン」だと言ったとする(あとで説明するが、これは完全にデタラメだ)。

するとこの受講者はにわかに、腕を組むのをやめようとし始めるだろう。

こうなると、ふと腕組みしたくなったとき、とてもおかしな感情がわきはじめる。

「ああ、腕組みしたいなぁ。いやだめだ、拒絶のポーズだと講師の先生が言っていた。でも、どうも腕が落ち着かない・・・。ぶらんとさげておくか。あれ?でもこれも何だかまぬけな感じだ。それに、手のひらの向きはどうしたら……」。

周りで見ている人の目には、さぞおかしな光景に映ることだろう。

腕のやりどころ、足の向き、距離……考えるべきことはたくさんある。

こうなると自分のことで頭がいっぱいになるあまり、会話をしている相手に対してうわの空になってしまう。

これは、相手にとっては不快な状況である。

友達ならまだしも、会社の上司にまで「なんだこいつ、変な奴だな」と思われてもしかたがないだろう。

話の途中で急に腕をそわそわと動かし出し、人の話も聞かず、心ここにあらずといった様子を見せるのだから。

そして事実、この人は相手の話に集中できていない。

せっかく身体言語セミナーを受けたのに、コミュニケーション能力が上がるどころか、むしろ悪化してしまうのだ。

これまで無意識でやってきたことを改善しようと意識しすぎたばかりに。

「無意識のしぐさ」を意識して変えようとしても、それは自然なしぐさにはならない。

だからこそ、「しぐさ」には本音が出てしまうのだ。

【言葉の前の動作を見逃すな!】

私たちは口だけでなく身体全体を使い、絶えずコミュニケーションし、思考し、話している。

では、ある感情が生じたとき、その次に現れるのは言葉と動作のどちらが先だろうか?

著者の観察によれば、その順序はどんな人でも共通している。

「感情→動作→言葉」という順序だ。

たとえば非常に腹が立ったとき、あなたの中で何がどんな順番で起こっているかというと、

1.脳が「自分はものすごく怒っている」と気づく。

2.手がバンと机を叩く。

3.「もう我慢できない!」と言葉が出てくる。

あるいは、何かをうっかり忘れていた場合は、こうだ。

1.脳が何かを忘れていたことに気づく。

2.手がパチンと額を打つ。

3.「なんでこう忘れっぽいんだろう!アイロンの電源、ちゃんと切ったかしら」と言葉が出てくる。

この順序は、特に意識しないかぎり、変わることは絶対にない。

そして、さらに重要なことは、「言葉」は嘘をつくということだ。

「動作」には本音が出てしまう。

しかし、そのあとに発する「言葉」は嘘をつける。

つまり、相手の本音を見抜きたけれ「言葉」の前の「動作」を見逃してはいけない。

たとえば街で偶然知人に出会ったとき、本当にその人に会えてうれしければ、反応は次のようになるはずだ。

まず、知人がいることに気づく。

次に、顔に笑みが浮かぶ(動作)。

そのあと初めて相手に歩み寄って、声をかける(言葉)。

もし、相手が自分のところに近づいてきて「会えてうれしよ」と言ったあとに笑顔を浮かべるようなら、それは喜んでいるふりということになる・・・

佐藤さん

ここまでくると自分の心理というのは隠し通せませんね・・・ちょっと恐ろしいですね(笑)。あくまで参考程度にしてください、もしかしたら例外もあるかもしれませんから。

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