”聖域"に土足で踏み込む「ことば」のトリック

心理・思考・時間



あなたを犠牲にしてしまおうとするときによく使われる言いまわしを上げてみましょう。


他人の例をことさらにあげつらうことによって、あなたの「聖域」を乱し、あなたの目的を達成させないようにするものだ。


「なぜもっと……のようにしないのか」


これは、「模範生」のするように行動していないと非難することによって、自己嫌悪を起こさせようとする言いまわしだ。


犠牲者にしようとする招待状のようなもので、権威を持つ者がその従属者、たとえば雇用人や子供などにつかうとき、とくに効果的である。



「あなた以外は誰も文句を言っていない!」


このフレーズは、臆病で自分の権利を主張できない人たちと同じ状態にあなたをおこうとするものだ。


「他の人たち全員」あなたを加えたい人がつかう戦法である。



「世の中の人すべてがあなたと同じように行動したらどうなるか」


あなたが自分の権利を主張すると、加害者たちは、あなたは世間の秩序を乱しているとあなたに羞恥心を抱かせようとするのだ。


当然わかると思うが、世の中すべての人が自分を押し通そうとすることはない。


たとえそうだとしても、この他がもと住みやすくなるだけだろう。


なぜなら、少なくとも、「他の中の人すべてが・・・」などという曖昧模糊(あいまいもこ)とした道徳を乱用して他人を抑えつけようとする人がいなくなるだろうから。



「今あるもので満足すべきだ」


この巧妙で卑劣な言いまわしは、たいていの場合、「あなたのお祖父さん、お祖母さんの時代は何もなかった」とか「アフリカには餓死寸前の子供たちがいる」ということばと一緒につかわれる。


そして、あなたが自分にふさわしいと思ったものを要求したことに罪悪感を覚えるようにしむけるのだ。


何も持っていなかった過去や、不幸な現在の人々がいることを、あなた自身の満足度の基準にしてしまおうとするのである。


この基準に従えば、過去に今のあなたとはまったく違う状況にあって苦労した人がいたり、また現在に個人的望みなど出せないほど苦労している人がいれば、あなた個人もまた、自分の要求を主張してはいけないことになる。


過去や他の不幸な状況など関係のないことなのだ。


もしもあなたが、このような論理にだまされて、あなたとは何の関係もないことで罪悪感を持ってしまったらどうなるだろう。


あなたには、お祖父さんやお祖母さんが持っていなかったものや、アフリカの人々が持っていないものはみんな、持つ権利がないことになってしまうではないか。


そんなバカげたことを証明してしまうことになるのである。



「そんなに大騒ぎをして世間を騒がせないでくれ!」


これは、人に自己主張させず、自己を喪失した人間のように行動させようとしてつかわれる戦法だ。


こう言われれば、世間に対して公然と対決することができなくなるからである。


とくに若者たちに、周りの人の考えを自分の考えよりも重要視することを教えるときにつかわれる。


これによって若者は自信を喪失し、自尊心も希薄になり、結局は精神療法を探し求めるようになるのである。



「なぜ、お兄さんやお姉さんのようになれないのか」


これまでことあるごとに誰かと比較されてきたために、大人になってもその迷惑をこうむっているというケースである。


他のどんなケースよりも多いのが、兄弟姉妹との比較である。


他の家族と常に同じようになることを求められれば、子供は個性や自尊心を育てることができない。


人はそれぞれにユニークであり、それなりに扱われるべきなのだから。



「みんなこうしたがっている。このようにみんながしている」


このみんなという摩詞不思議なことばには気をつけたほうがよい。


あたかも、全能なる権威によって、あなたの生き方はすでに指定されてしまっているかの如き印象を与えたいときにつかわれる。


あなたに話している当の本人が、いったいみんなとは誰なのかを言うことができないなら、みんななどどこにも存在しないのです。


それに第一、みんなの規則に従って生きるなど、バカげたことである。

佐藤さん

他人から言われて傷つくことは多々あります。私も何度もあります・・・マウントを取りたいのでしょうか?自分の方が上だよ!と主張したいのでしょう?気にしない、ほっとくのが一番です!ただ、自分はそうならないようにしていきましょうね。



↓ 参考書籍

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