【表情を読むトレーニング】
パートナーに何かとても興奮することを想像してもらおう(できれば、性的な妄想がいい)。
相手の顔をよく見て、どこかに変化が見られないか観察する。
目が普段より少し開いていないロもとにかすかに笑みが浮かんでいないか?
小鼻がびくびく動いていないか?(これは興奮したときの特徴だ)
相手の顔には何かしら変化があるはずだ。
それを見つけ出そう。
続いて、今度はパートナーに「内緒にしておきたいこと」を思い浮かべてもらう。
たとえば体重。
昔つい出来心で悪さをしてしまったときのこと。
あるいは本当の年齢や、バスワード。
どんな内容でもいい。
先ほどの「興奮する内容」から次の想像に移った瞬間、顔つきにも変化が生じるはずだ。
もしかしたら、頭に浮かんだ内容があまりに恥ずかしくて表情をコントロールできないかもしれない。
相手の表情をもう一度よく観察しよう。
そして、その人が今どんなことを考えているか当ててみる。
心地よいことか、愉快なことか、腹立たしいことか、あるいは思わず動揺してしまうような不快なことか。
ヒントは必ず顔に表れる。
このトレーニングを、相手や想像する内容を変えて何度も繰り返すことだ。
すると、日常のさまざまな場面で、表情から人の心を読み取ることができるようになる。
すると、次のようなプラス効果が期待できる。
まず、周囲の人たちをよりよく理解することができるようになり、人づきあいが驚くほどスムーズになり、簡単には壊れない深い絆を築くことができる。
そして、「相手と通じ合っている」というすばらしい感覚を味わえるのだ。
そう考えると、表情を読むトレーニングの意義はとても大きい。
逆もまたしかりで、「難しい人」「自分には合わない人」などを避けて、なるべくうわべだけで関わらないようにすることもできますよね(笑)
では、もう一つ別のトレーニング法を紹介しよう。
これにも協力者が必要だ。
まず、子どもや家族や知り合いなど、協力者が好意を抱いている人物の写真を何枚か用意する。
それと、大嫌いな人物の写真も用意しよう。
もし協力者がプライベートで嫌っている人を知らなければ、嫌いな政治家や芸能人の写真でもいいだろう。
あなたは協力者の正面に座り、写真をカードのように重ねて相手に渡す。
そしてトランプゲームをするときのように、十分にカードを切ってもらおう。
切り終わったら、一枚を引いて確認してもらう。
もちろん、あなたは写真を見てはいけない。
このとき、協力者の顔に注目しよう。
その人の普段の表情と比べて、違っところはないだろうか?
目の周りや鼻や口もとはどうか?
これを観察すれば、協力者が誰のカードを引いたのかわかるようになるだろう。
「手」の動きで何を大切にしているかわかる。
身振り(ジェスチャー)とは手や足や頭の動きのことだ。
僕たちは身振りによって言葉を使わずコミュニケーションしたり、自分の言うことを強調したりする。
特に、話しながら手を動かす人は多い。
なぜなら脳内では言葉をつかさどる部位と手の動きをつかさどる部位が同じエリアにあるのだ。
そう考えれば、話すことと手を動かすことが強く結びついているのもうなずける。
人は電話をしているとき、相手には見えないのに、つい手を動かしてジェスチャーてしまうことがある。
また、生まれつき目が見えないために他人のジェスチャーを一度も見たことのない人でも、話すときは手を動かすというから、その動きは本能に近いといえる。
私たちはしばしば、身振りによって自分の思考を補っている。
大事な書類を手で指し示すのは、その重要性をよりはっきりさせるためだ。
逆にいえば、手でわざわざ指したものは、その人が大切だと感じているものである可能性が高い。
そして、身振りはたいてい無意識のうちに起こるものだ。
いちいち頭で考えながら鼻を掻いたり、髪の毛を耳にかけたりする人はいないだろう。
とはいえ、もちろん意識的に行う身振りもある。
ただし、これには少々注意が必要だ。
こうした身振りはけっして万国共通ではなく、国や文化によってまったく意味が異なることも少なくないからだ。
たとえば、うなずく動作は世界のほとんどの場所で「はい」を意味する。
だが、インドやパキスタンは例外だ。
これらの国では、肯定したいときは頭を左右に傾ける。
知らずにいると、とんだ誤解のもとになりそうである。
【歩き方で心の状態を知る】
ただ歩いたり立ったり座ったりするだけでも、さまざまな情報が表れる。
ものの考え方や、そのときの気分も漏れ出てしまう。
なぜなら、身体は思考の影響を受けているからだ。
人間の体内では、感情に応じてさまざまなホルモンが分泌される。
このホルモンが血液の循環を活性化したり抑制したりすることで、私たちは大事なときにすばやく動くことができるし、逆に急に身体がすくんで動けなくなることもあるわけだ。
椅子に座るときぐったり沈み込むように座るか、あるいはピンと身体をこわばらせるか。
軽やかな足どりで歩くか、それともおどおど歩くか。
そのときの心の状態によって、人の動作はまったく違う。
私たちは自分の身体を黙らせることはできない。
そして同時に、他人の身体が発するシグナルを無視することもできない。
そうしたシグナルはキャッチされるやいなや、直感的に解釈される。
たとえば力強い足どりでドスドス歩く人物を「臆病なタイプ」と考える人はいないし、椅子の端に縮こまるように座る人を「勇敢なタイプ」とは考えにくい。
しかし、身体言語はとても複雑で、必ずしもこの例のように明確なわけではない。
だから、外国語を学ぶように、きちんと学ぶ必要がある。
【距離であなたを好きかわかる】
人と人とがコミュニケーションをとる場面では、両者の距離が一定以上に保たれることもあれば、とても近いこともある。
ここにも、さまざまなメッセージが隠れている。
私たちは普通、他人との距離にとても敏感で、本能的にその場の全員が心地よく感じるくらいの距離を保とうとする。
もしも誰かが、あなたとの距離を縮めてきたら、その人はあなたに好意をもっているかもしれない。
たとえば電車などでは、強制的に他人との距離が近くなってしまう。
だから電車内では誰もがなるべく他人を無視し、じっと前を見て目が合うのを避けようとするのだ。
【服装で自我を見抜く】
服装やアクセサリーもまた、文化的な形で表現された身体言語だ。
着る服を選ぶことで、私たちは自分がどんな人間に見られたいかも選択している。
型破りなパンク族か、常識人か、ビジネスマンか、あるいはスポーツマンか。
ネクタイを選んだり真珠のネックレスをつけたりするのも、単に似合うからではなく、それによって何かを伝えたいからだ。
服装によって、相手はあなたに何かを伝えようとしている。
伝えたい内容は「自分がある特定のグループに属していること」かもしれないし、「お金持ちであること」かもしれない。
「他人にどう思われようと気にしない人間であること」を示したい場合だってあるだろう。
世の中にはドレスコードというものがある。
だから葬式では誰もが黒を身にまとうし、ホットパンツ姿でオペラ座を訪れる人は滅多にいない。
ドレスコードに従わないことは、それ自体が一つの明確なメッセージとなる。
↓ 参考書籍
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