【サイエンスをベースにした成功科学】
まず、脳と体と心の仕組みや、相互の関係性について、説明しておきたいと思います。
日頃なじみのない科学専門用語や、ややこしい理論は、できるだけ身近な例で説朋していこうと思いますので、「あっ、これは身に憶えがある」「そういうことは確かによくある」「何となくわかった気がする」と思っていただければけっこうです。
これからお伝えするのは「成功哲学」ではなく、「成功科学」です。
科学的な裏付けのある情報をふんだんに紹介しながら、誰もが本来持っている力を発揮できるよう、みなさんの考え方を前向きで肯定的なものに変えるお手伝いをしたいと思います。
サイエンスをベースにした夢の実現方法は、みなさんにとってきっと生涯で最高の財産になるでしょう。
人にはそれぞれの成功のイメージがあります。
みなさんにも、とっておきのプランやビジョンがあるに違いありません。
たとえば、
・やりがいのある仕事に恵まれたい。
・能力や才能を開花させたい。
・人脈を広げたい。
・会社を興して財産を築きたい。
・都心の一等地に豪邸を建てたい。
・仕事は最小限にして、海の見える別荘でのんびり週末を過ごしたい。
などなど。
まさに十人十色の夢と希望、それぞれの人生のスタイルがあります。
共通していえるのは、「そうした成功イメージを現実のものにするのは、ほかならぬあなた自身だ」ということ、そして、「本気で信じた夢は必ず叶う」という真実です。
なぜ、成功イメージを現実化できるのでしょうか。
なぜ、夢を叶えることができるのでしょうか。
その理由は、私たち人間の体内には自らの夢や望みを実現させるためのシステムが本来的に備わっているからなのです。
そのシステムとは、いってみれば「自動目的達成装置」のようなものです。
そしてまた、体を構成する六十兆もの細胞のひとつひとつには、遺伝子レベルで、目的達成のための膨大な情報が刻み込まれています。
そうした複雑きわまる仕組みのはたらきをコントロールしている中枢か、大脳にあります。
あなたの夢や望みが大脳の側坐核というところに伝わると、本人が意識するしないにかかわらず、自動且的達成装置が稼動しはじめます。
すると、あなたが望むことはそのまま、頭で考えたとおりの形になって視実化していくのです。
【考え方や自己像も選択の結果】
うれしいことに私たち人間は、自分で自分の考え方を選択するこどができます。
・こんな生き方がしたいという「人生観」
・こういう自分になりたいという「自己像」
・自分には何が可能かという「判断」
・自分が住む泄界についての「世界観」
・自分の幸福と成功に責任があるのは誰かという「考え方」
すべては、自分自身の自由と責任において選んでいけます。
いえ、すでに選んでいるのです。
たとえば、表情、姿勢、話し方、歩き方も、みなさんが無意識のうちに自分にふさわしいものはこれだと選んだものばかりです。
そしてさらに、着ているもの、食べているもの、乗っている車、住んでいるところ、仕事、収入、配偶者、人間関係、健康状態でさえ、ご自身で選ばれたものです。
つまり、今の状況を選んだのは、みなさん自身だということなのです。
ところが、そうした認識を持たないために、どれほど多くの人が、ただ一度きりの人生で多大な損をしていることでしょう。
たいていの人が、考え方や自己像を自分の「選択」の結果だと思っていないために、好ましくない現実に直面しても、なかなか方向転換できずにいるようです。
しかし、選択の自由にあらためて気づき、自分にとって本当によい選択ができるようになると、人生はおもしろくてたまらないものになっていきます。
たとえば、
「自分はいつか豪邸に住む」
「理想の人と出会って結婚する」
「大きな成功を我がものにする」
「お金持ちになる」
「どんどん幸せになっていける」
そういう前向きで肯定的な考え方や自己像を選ぶことかできる人は、どれほど途方もない夢や希望であっても、必ず実現する力を持てるようになっていきます。
【成功科学の効果】
生き方、可能性、成功や幸福も、その人、本人が選びとっていくものです。
私はこの原則を100%有効だと信じているので、自らの人生においても十二分活用してきました。
そして今日、著者は昔なら考えもつかなかったようなことを実現しています。
いくつか例をあげるなら、目の前に海が広がる仕事場兼リビングルーム、これは畳みを敷けば六十畳はゆうに超える広さで、抜群の眺望と明るさが快適そのもの。
仕事はますます順調で、こうして発表する著作がことごとくベストセラーとなっています。
また、月に十回以上の講演をこなし、全国各地を飛び回っています。
著者は今年71歳になりますが、体力気力とも確実に20歳は若いと思っています。
毎朝一時間ほどのジョギングと四股踏みを欠かさず、ときには朝まだ人のいない海辺の道路でローラーブレードを楽しむこともあります。
ヨット、ハンティング、スキー、モーターバイク、写真、旅、そして世界の極地への冒険旅行と、遊びや趣味もいよいよ充実してきました。
著者が提唱する理論の正しさを、著者自信の存在そのものが証明してくれています。
みなさんも、自分にとって本当によい選択とは何なのか、あらためて選びなおしてみてください。
みなさんの可能性、人生における成功や幸福も、自分自身で選択してこそ始まるのです。
そして、そのビジョンを強く脳にインプットし、自動目的達成装置に送り届けてみましょう。
こうありたいと望んだ現実が必ず訪れます。
【自分にはなりたい人になる力がある】
ほとんどの場合、人は自分がなりたいと思っているものになれるのだ。
だから、他人の犠牲になりはしないかとちょっとでも思いさえしなければ、犠牲者になりはしない。
そのためにはまず、幸福、健康、自己発揮を強く求める姿勢、そしてさらには、不当に扱われないよう求める姿勢を習慣づけなければならない。
ただ、この習慣は、あなた自身の能力に基づいて育まれなければならない。
決して、あなたを犠牲にしようとする相手や組織によって押しつけられた力、ありもしない能力に基づくものであってはならない。
では手始めに、次の四つのメカニズムをうまくつかうことだ。
1.あなたの身体はあなたがまだ知らないパワーを秘めている。
あなたが、きちんとした判断力に基づいて本気で何かを達成したいと願うならば、何ものにも妨げられないはずである。
極端な場合には、あなたの肉体が、超能力者さながらの力を発揮するかもしれない。
マイケル・フィリップ博士は、その著書「隠された力」の中で、息子とアメリカを車で旅行した初老の婦人について次のように書いている。
「人里離れた砂漠地帯で車が故障したときのことだ。息子はジャッキで車を持ち上げ、車の下にもぐった。だがジャッキが滑って車が落ち、彼は太陽に熱せられたタール・マカダム舗装の道路と車との間にはさまれてしまったのである。すぐさま車を息子の胸の上からどかさなければ、数分のうちに息子は圧死してしまう、婦人はとっさにそう思った」
老婦人には、自分に車を持ち上げるような力などないとか、うまくいかないかもしれないといったことを考えている余裕はまったくなかった。
そして、フィリップ博士が言った通りのことが起きたのだ。
「一瞬の躊躇もせず、彼女はバンパーをつかみ、息子が車の下からはい出せるように車を持ち上げたのだった。彼が下からはい出すや否や、彼女の一瞬の力は消え去り、車はドスンと道路に落とされた。少なくとも十数秒間、この老婦人は数百キロもある車を持ち上げていたことになる。体重六五キロ足らずの女性にとっては、まさに信じられない力を発揮したのである」
実は、この種の話は、数えきれないほどある。
このような事実を理解できるかどうかは、「人間には超人的な力がそなわっている」ということを認めるかどうかによる。
やれるに違いないと信じるとき、あるいは、一瞬たりともやれないなどと考えないときに、人はじがたい力を発揮するのである。
肉体の健康についてもこのことは言える。
健康を期待する心の持ち方によっては、病気の犠牲にならずに済むことだってあるのだ。
風邪、高血圧、背中の痛み、頭痛、アレルギー、発疹、けいれん、さらにはもっと悪性の病気である心臓病、潰瘍、痛風などでも、かかるまいと思えばかからずに済むことができるのだ。
「そんなはずはない。それは間違いだ。私は病気にならざるを得なくなってしまった。仕方のないことだったのだ」と言うかもしれない。
しかし、それは私に対し、いったい何を弁解しようとしているのか、ということになる。
あなた自身のそのような弁解が結果として病気をまねき、身体の自由を奪う結果になっているのだ。
なのになぜ、いつまでも弁解しつづけるのか。
どうしようもなかった、などと弁解して何の得があるというのか。
何もありはしない。
そうではなく、ごく単純に、いつか病気になってしまうのは仕方がない、といったふうに不健康を予想するのはやめ、本気で自分を変えようとするのだ。
そうすれば病気にはなりにくくなる。
たとえ完全にはうまくいかなくても、少なくとも今の状態のままではいられるだろう。
吐き気や頭痛、風邪などの症状があるなら、それ以上悪くならずに済むはずなのだ。
かつて、次のように語った賢者がいる。
「指を噛む代わりに、指がさしている先を見よ」。
自己敗北に陥ってしまうのは、私たちの文化に典型的な傾向の一つだが、そうではなく、積極的な心構えで未来に利することを考えるのだ。
その心構えこそが、この世で最良の薬となり得るのである。
精神分析医のフランツ・アレクサンダー博士は、その著書の中で、精神の力についてこう語っている。
「生物学や医学では軽視されているが、精神が肉体を支配しているという事実は、人間のしくみのもっとも基本的なことである」
2. 要は自分の「グレープ・フルーツ」への期待、しぼり方、生かし方だ!
少し前の話になる。
学校である教師が二つの名簿を手渡された。
一つは、あるクラスの生徒の知能指数を記入した名簿。
もう一つは、別のクラスの、同じ欄にロッカーの番号が記された名簿だった。
ところが教師は、第ニクラスのロッカー番号を、生徒の知能指数だと勘違いしてしまった。
だから、学期のはじめに各自の家に送られてきた名簿を見た生徒たちも、同じように勘違いしてしまったのである。
一年後にどうなったか。
第一のクラスでは当然のごとく、知能指数の高い生徒のほうが低い生徒よりもよい成績をとっていた。
一方、第ニクラスでは、偶然では片づけられないはっきりした結果が出ていた。
なんと、ロッカー番号が大きかった生徒が、番号の小さな生徒よりも、断然よい成績を残していたのである。
この事実は何を物語っているのだろうか。
バカだと言われ、自分でもそう思い込んでしまうと、誰もがそれ以上のことはできなくなってしまうということだ。
自分自身に期待することが少なければ、自分の力を犠牲にする犠牲者となってしまうのである。
そして、もし他人にも自らそう思い込ませてしまうとしたら、あなたは二重の危機に立たされていることになる。
あなたには本来、何らかの天才的な資質が隠れている。
そのすばらしい才能を呼び起こすも起こさないもあなた次第なのだ。
せっかく才能がありながら、自分は先天的に脳に支障があるからダメだ、と思い込んでいることだってあるのである。
ここでも重要なのは、「自分自身に何を期待するか」ということだ。
もし新しいことを学ぶのが困難だと思ってしまうと、その通りになってしまう。
たとえば、外国語はむずかしくて絶対自分には覚えられないと思えば、あなたは間違いなく覚えられない。
人間の脳の容量は、たかだかグレープ・フルーツほどしかない。
けれども、その力たるや驚異的である。
自分がどれほど多くのことを知っているのか確かめたいのなら、マイケル・フィリップ博士の次のちょっとした実験をためしてみることをおすすめする。
「紙と鉛筆を持って、覚えていることのすべてを書き出すとします。あなたの知人や聞いたことのある人の名前、あるいは、子供のころからの体験、本や映画の筋、保管している仕事上の書類のこと、趣味、その他何でもかまわない。そのすべてを書き出すのです」
やってみるとわかるのだが、これですべてだと自分を納得させるまでには、膨大な時間が必要である。
フィリップ博士は、「1日24時間書きつづけたとして、約2000年かかるでしょかう」と言っている。
このように、あなたにもともとそなわっている記憶力だけでも驚くべきものなのである。
つまりそれほど訓練しなくても、頭を慣らせばいろいろなことが可能になるということだ。
一年間にかけた電話番号すべてを覚えることだってできる。
パーティーで紹介された初対面の百人の名前を、数力月後に全部思い出すことだってできる。
前の週にあなたの周りで起きたすべての出来事を細かに書き出すことも、あるいは、わずか5分間の訪問の後でその部屋にあったものの一覧表をつくることもできる。
こうした、脳や知的な能力をフルにつかうようになってはじめて、本当に自分の能力を発揮したと言えるのである。
もしかしたら、あなたの場合はそうではなく、別な考え方をしているかもしれない。
次のような被害妄想的な考え方だ。
「私は本当にバカだ」とか、「名前や数字や語学など、どうしても覚えられない」「数学は苦手だ」、あるいは「読むのが遅い」「クイズが解けない」などなどだ。
このような考えを持ち、この種の発言をつづけていると、弱気な姿勢がわざわいして、やりたいことはまず達成できなくなる。
だから、本当に何かをやり遂げたいのなら、このような発言はすぐさま下取りに出さなければならない。
そして、それと引きかえに、「自分で選択したことは何でもできる」という確信と信頼とを表明するのである。
そうすれば、自分を負け犬に者にしなくて済む。
悲痛なゲームの犠牲で終わることもなくなるのである。
3.感情はブレーキにもなればアクセルにもなる
人は肉体、知性の面で優れた才能を持っていると同様に、感情面においても生来、天才的な資質を持っている。
しかしここでも、それを発揮できるかどうかは、自分自身にどのような期待感を持つかによる。
著者は、『自分のための人生』という本の中で、抑圧や心配、恐怖、怒り、罪悪感、悩みあるいはその他の神経症的な状態について詳しく述べていた。
もしも今、あなたが、これらの状態にあると考えてばかりいたら、それらは確実に日常生活にブレーキになってしまう。
たとえ感情的にことを、「憂鬱になるのは当然だ」とか「怒ることは人間らしいことだ」といったようように自己弁護し、正当化してしまうのだ。
けれどもそれは、決して人間的なことでも、当然のことでもない。
むしろ、あなたの人生を情緒的な面で傷だらけにする、神経症的な行いなのである。
あなたがひょっとしたら陥るかもしれないと不安がる、これらの神経症的な反応も、一掃することは可能だ。
人生の一瞬一瞬を生きようとすれば、このようなマイナスの部分はまったく不要になる。
ましてや、心理学のカウンセラーがしゃべる、まやかしに対立姿勢を取るならば、マイナス感情に陥る必要などまったくありはしない。
あなたは誰に惑わされることも、なく自分で選択した存在なのである。
だから、感情的に動揺するのではないかとか、不安に陥るのではないかと想像することさえ、やめれば、自分を生かせる人間になれるのである。
4.自分で自分をみじめな鋳型(いがた)にはめ込むな
自分のことを、不器用で、気がきかず、煮えきらない、ヘマで、恥ずかしがり屋の、内気な人間だと思ってはいないだろうか。
もしそう考えるのなら、社会に不適合なこれらの人間像を自分自身に課すことになる。
そして結局、本当にそうなってしまう。
同じように、自分を下級、中級、上級のどれかに分類するとしたら、おそらく自分が選んだクラスの生活様式に一生とらわれつづけることになるだろう。
お金はなかなか手に入らないものだと思っていると、自分のその経済状態を変えるチャンスが来ても見逃してしまう。
そして、他人がチャンスをつかんで経済状態を好転させたのを見て、「あいつは運がよかっただけだ」と言って済ませてしまうのである。
あるいはまた、町なかでは駐車場など見つかりそうもないと思えば、本当に見つからないものだ。
そして、「そらみろ、僕の言った通りじゃないか。だから今夜は町になんか出るべきじゃなかったんだ」と不安、不満を他人のせいにすることもできるのだ。
繰り返すが、これからあなた自身がどう生きたいのか、自分に何を期待するのかが、人生を決定づける大きな鍵となる。
お金がほしいのなら、お金持ちになることを考えればいい。
あるいは、自分の意見のはっきり言える人とか、独創的な人といった具合に、自分がなりたいと思う人物を自分の中に描いてみることからはじめるのである。
つまずいたからといって落胆することはない。
失敗も勉強だと思ってやっていけばいいのである。
たとえ、最悪の事態をまねいたとしても、たいしたことはない。
なぜなら最悪の事態というのは、ただ単にあなたが今いるところにとどまるということにすぎないからだ。
どんなにひどい状況になってもそこにとどまれるのだ。
↓ 参考書籍
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