女性に声をかけて、許可をもらった男性を待ち受けるのは、次なる重要なステップ、つまり言語によってコンタクトをとり、自己紹介をするという段階だ。
これはその後の展開を左右する決定的な瞬間となる。
そこて、女性が男性を気に入っているかどうかを見分ける「三つのサイン」について説明しよう。
サイン① 身振りが大きくなる恋愛
一般にいえるのは、大きく開かれた身振りは好ましく、小さく内にこもった身振りはまずいということだ。
たとえば、手を大きく広げる、手のひらを開くなどだ。
ただし女性が自分を抱くように腕を組んでいても、必ずしも心を閉ざしているとはかぎらない。
単に肌寒いだけかもしれないからだ!
しかし、今までずっとオープンな身振りをしていたのに、男性に声をかけられたとたんに腕を組んだのなら、急に寒くなったからとは考えにくいだろう。
もっとも、その男性のせいで寒気を覚えたのかもしれないが・・・。
サイン② 脚を何度も組み替える
アプローチがうまくいっているか確かめるには、脚に注目するといい。
声をかけられた女性がときどき脚を組み替えるしぐさを見せたら、それは「ゲーム」の一環であり、お誘いのサインである。
何度も脚を組み替えるのは別に座り心地が悪いからではない。
自分の脚に注目してほしいからだ。
ただし、このしぐさはほとんど気づかないほどさりげなく行われる。
男性も、そして女性本人も、そんなサインが発されているとはまったく気づかない。
それでいて、この「脚組み行動」は無意識のうちにはっきりと認識される。
そのため恋愛ではとても重要なのだ。
女性は自分の脚を強調し、長く見せるコツを心得ている。
女性が急につま先を伸ばしたりつま先立ちをしたら、それは男性の視線を脚に向けるためかもしれない。
さらに、つま先立ちにはもう一つ別の効果もある。
脚を長く見せるだけでなく、つま先で立つことで背すじがそるのだ。
背すじがそると腰にカーブが生まれ、胸とお尻を強調できる。
長い脚と、胸と、お尻。
これらはどれも女性にとって強力な身体的武器だ。
「プレイボーイ」誌の表紙や週刊紙のグラビアを見ればおわかりだろう。
どの女性も腰をそらしているはずだ。
もしかしたら今までほかの部分に目がくぎづけで、お気づきでなかったかもしれないが・・・。
そういうわけで、女性は気に入った男性の前ではほとんど気つかないほど軽く腰をそらすことが多い。
上半身を前に出し、腕をついて支えるといったポーズをとるのも、その表れだ。
座ったままほんの一瞬だけ背すじを伸ばすこともある。
サイン③ 50センチ以内に寄ってくる
よく親しくなることを「距離が縮まる」などというが、これはまさに身体言語が言葉の表現にも表れた例だろう。
「立ち位置がはっきりしている」とか「手中に収める」といった言い回しもそうだ。
「距離が縮まる」とは、まさに文字通りお互いの物理的な距離が近くなることでもある。
それは離れていた二人が身振りを通じて次第に近づいていくプロセスだ。
そして熟練のボディー・リーダーは、鋭い観察力で男女の心理的な距離を見きわめる。
普通、他人同士の二人は腕一本分ほどの距離をとる。
身体をなでたりキスやセックスをするにはかなり支障がある。
だから男性は相手が好みの女性だと見るや、なるべくこの距離をつめようとする。
そして、できれば相手をこちらに引き寄せたいと考える。
これは女性も同じだ。
距離をめぐるかけ引きに例外はない。
だから恋愛においては、自分の位置をしっかり意識することが重要になる。
それに、相手がこちらに対してどんな距離をとるかにも注意を払う必要がある。
そこには相手があなたと恋愛する気があるかないかがはっきりと表れる。
女性に声をかけることに成功しても、男性にとってはそこからが正念場だ。
相手のパーソナルスペースにずかずかと入り込まないよう細心の注意を払う必要がある。
家族や恋人に許される「密接距離」はおよそ50センチ。
もしも、女性のほうからこの距離に入ってきたら、男性のことをかなり気に入っていると考えていいだろう。
まだ仲よくない人物が、このゾーンに許可なく立ち入ることはけっして許されないからだ。
そんなことをしたら相手はあなたに脅威を感じ、不快感を覚えるだろう(これは何も恋愛だけの話ではない。職場においても、相手との距離はとても大切だ)。
【恋愛は「他人の女」とするものだ!】
男でも女でも、恋愛を始めると、一番気になるのは「ライバルはいないか」ということだ。
過去のことはともかくとして、今は「自分だけ」と思いたい。
特に男にはそういう気持ちが強いように思う。
男は独占欲が強い。
女にも独占欲はあるが、女の独占欲は欲張りの独占欲である。
この男を独占したいが、あの男も独占したいのである。
男は逆に「この女」しか目に入らない。
これはたぶん男の征服欲と関係があるのかもしれない。
何かを征服しようと思ったら、当座はそれに意識を集中しなければならないからだ。
したがって恋愛でどちらが夢中になるかといえば、それは男のほうである。
作家のオスカー・ワイルドはそれを次のように言い表している。
「男の人って、一度女を愛したとなると、その女のためなら、何だってしてくださるものでしょ。たった一つしてくださらないもの。それはいつまでも愛し続けるってことよ」まさにその通り。
男は、目先は特定の女に夢中になるが、手に入れてしまうとその情熱は次第に冷めていく。
だが、これは不実とはいえない。
もともとよそ見しがちな女とは違って、一時であれ、その女にだけ夢中になって捧げた時間がある男のほうが純情なのである。
女にとって男は謎でも何でもないが、男にとって女は謎だ。
この謎をかろうじて解いたと思われるのは、イギリスの劇作家、バーナード・ショーの次の言葉だろう。
「性的にいうと、女は自然が最高の完成を保全するために工夫したものであり、男は自然の命令をいちばん経済的に果たすために女の工夫したものだ」
結局のところ、物事の始まりはすべて「女ありき」なのである。
ただ、女の弱みは女が女であるためには、男がいなくては困ること。
女に対する男の特性は、すべて女の弱みを補完するためにあるようなものだ。
惚れた女にこだわる男の習性は、男の恋愛をひどく不便なものにする。
「あなただけ」といわれて、そうでなかった現実に何度か遭遇すると、男は消極的にならざるを得ないからだ。
だが、臆していては、とても恋愛などできない。
男が恋をしたくても躊躇するのは、「苦い思い」をしたくないからである。
ここに、そんな思いを振り切るノウハウが一つある。
作家の百瀬博教さんが勧めている方法。
それが「恋愛は他人の女とするものだ」という割り切りである。
これは凡百(ぼんひゃく)の恋愛テクニックにまさる「恋愛版コロンブスの卵」といってよいのではないか。
「いい女で、ボーイフレンドのいない女はいない。高校生の女の子だろうと、必ず好きな男はいる。その思慕の合間を縫ってそういう人とデートするわけだ。すべての女を他の男に預けているのであって、ひとの女と恋愛するしかないんだよ」
これはなかなかの名言だと思う。
そうなのだ。
そう思えば男は勇気が出る。
そうやって幅広く女にアプローチするのが、自然が男に与えた役割でもあるのだ。
ただ、こちらが思いを寄せても、相手に惚れきった男がいるときは、全然振り向いてくれない。
だが、こういうバッティングは現実に多い。
そういうときは、どうするか。
百瀬さんはこの点についても実にうまいことをいっている。
「毒蛇は急がない」
確かに恋に燃え上がっているときの女は、他の男に振り向いたりはしない。
だが、男のそれと違って、女の場合は束の間なのだ。
男とケンカでもすれば気持ちはグラつく。
そこを間髪入れずに口説けばいいのだ。
その口説き方も、真正面からぐいぐいと攻めるのはよくない。
枝折(しお)り戸というのは前から押しても開かない。
上から手を回して中の閂(かんぬき)を外せば簡単に開く。
このテクニックを使えばいいと百瀬さんはいっている。
和服の女も胸元から手を入れるのは難しい。
それより袖口から手を入れたほうが手っとり早く到着するのだ。
他人の「女性」を奪うのはおすすめしませんが(トラブルのもとなので・・・)、「いいな」と感じた女性には積極的にアプローチしてみる事ですね。行動しないと結果が出ない!「ダメでもいいや」ぐらいの気持ちで想いを伝えてみては・・・
↓ 参考書籍
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