【Win-Winの理念が照らす】 共に収益を生む道

食事・運動・仕事

【勝者がいれは、必ず敗者がいると考えるのは間違い】

第4の習慣は「WinーWinを考える」。

WinlWinとは「自分も勝ち、相手も勝つ」こと。

交渉で問題を解決する際に、双方にプラスとなる関係のことをいいます。

人間関係のパターンには、Win_Winを含めて6つある。

このうち世の中に蔓延しているのが、WinーLoseという「自分が勝ち、相手が負ける」関係。

自社が儲けるために下請け企業に無理な取引を強いる、上司が楽をするために部下に仕事を押し付ける、会社の規模や年収を比べて自分が上回れば悦に入るといった態度は、WinーLoseの発想から来ています。

また一方、Loseーwinの考え方もはびこっている。

これを受け入れる人は、それがWinーWinだと誤解しているから厄介だ。

相手に好かれたい思いが強いせいで、自分の不利益に目をつむっている。

だが、気持ちを押し隠し続けても不満が募るだけです。

自分もWinを得なければ、幸せにはなれなれません。

佐藤さん

いろんな仕事をしてきましたが、「仕事をする人」「やらない人」「デキない人」「やってるつもりの人」など様々います。「できません、佐藤さん」と助けを求められ、快く手助けしますがそれが当たり前になって、全く自分から努力しない人もいます。最近は「他人の給料を、なぜ?私が稼がなければならいなのか?」と疑問を抱いております。

【場合によっては「取引しない」という選択肢もある】

6つのパターンのどれが一番いいのかは、短期的には場面によって違ってきます。

仕事で疲れた帰りの電車で老人に席を譲るのは、LoseーWinだがいい選択だし、わが子の命が危険なときは、他者の利益など一切構わず、ひたすらWin(わが子の命)を優先したいと考えるだろう。

だが、現実社会では、周囲とはずっと関わり合うのだから、長期的に考えれば、やはりWinーWinがベストの人間関係だ。

WinーWinを成立させるために必要な資質は2つだけです。

自分のWinを求めて相手に対し誠実に気持ちを伝える「勇気」と、相手にWinを与える「思いやり」です

WinーWinが難しい場合、取引しない選択肢が理想になります。

互いの価値観や目標が明らかに違うなら取引を降りる、取引をしないのです。

信頼関係を維持できれば、次の機会に協力するのが良いでしょう。

佐藤さん

「虎の威を借る狐」のように、私は利用された経験もあります。「説得力」があるのか?「威圧感」があるのか?なぜだか、私をトップに立てたい人たちが、一定数の割合で出てきますね・・・今後は「WinーWin」を考えて断れるものは断っていくようにします。

【与える人が最も豊かになれる】

WinーWinの話を聞くと、「それは理想の話」と一蹴する人がいます。

こういう人の心は「欠乏マインド」たたに支配されています。

そういう人は、人の成功を「おめでとう」と称えながら、内心では嫉妬しています。

「幸せの量は決まっていて、誰かがひと切れとると、自分が損をする」というなんとも、頭の悪いは考えがあるからです。

もし、自分にそんな欠乏マインドがあると感じたら、今日から豊かさマインドに切り替えましょう。

豊かさマインドとは、「すべての人が満足することは可能だ」という発想のことです。

幸せの量は一定ではなく、新しくつくり出していけるという考え方です。

【WinーWinを支える5つの柱とは】

以前、ご紹介した第1、第2、第3の習慣を実行することで得た誠実性や、豊かさマインドに基づく「人格」は、WinーWinの達成を支える柱になります。

素晴らしい人格から始まる交流なら、高い信頼に基づく「関係」を構築できます。

だからこそ、議論を尽くして、双方が納得する「合意」にも到達できるのです。

WinーWinを得るには、人間関係を決める「システム」の検討も重要です。

たとえば、従業員に業績別のボーナスを支給している会社。

こんなWinーLoseの関係が生まれやすいシステム下では、いかに「チームのためにがんばれ」と上司が言っても、WinーWinの社員関係は育ちにくいですよね。

チームの業績が上がれば、チーム全員の評価が上がる方法などにシステムを転換する必要があります。

さらに、WinーWinに至る「プロセス」も重要です。

著者のコヴィーは、①相手を理解し、②解決すべき課題を明確にする。③確保すべき結果を明確にし、④結果を達成するための選択肢を出す、という4つのステップを勧めています。

これらは第5、第6の習慣にも繋がる大切なことです。

WinーWinは、結果を求めるだけではうまくいきません。

5つの柱があって初めて実現するのです。

佐藤さん

「三方良し」という言葉があります。Web上で「アフリエイト」なんかはその典型ですよね。「商品を売っている会社」「商品を紹介する人」「納得して購入する人」。誰も「損しない」仕組みです。WinーWinーWinになりますね。

【仕事に「敵」という発想はいらない】

対人関係を捉えるときに知っておいてほしいのは、まず敵という発想はいらないうことだ。

誰かを「敵」と思っていいのはスポーツをやるときくらいだと思う。

実社会敵なんか作らないほうがいいに決まっている。

私(著者)も今、敵なんていない。

全員が味方ではないし、ライバルはいるが、敵ではない。

ライバルも味方にできるし、そうすればいい。

敵とは排除する発想からきているもので、そもそも心が狭いし、そうした相手を作っていいことは一つもない。

親分肌で自分のグループを作りたい縄張り争いが好きな人が、自分のグループの結束感を強めるために敵を必要とし、わざわざ作る場合があるが、変化の激しい時代には、固定的な付き合いを深くするより、誰とでも柔軟に付き合っておくのがベターだ。

固定的で閉鎖的な付き合いより、広く誰とでも付き合うことで、風見鶏とか八方美人とか言われるかもしれないが、勝手に言わせておけばいい。

そのほうがより正しいネットワーキングの仕方だと思うので名誉に思おう。

敵とか苦手などと思っている人がいたら、そのほとんどは人生経験の不足が招いた勝手なイメージからくる「食わず嫌い」のようなものだ。

人生経験が増えれば人の好みも変わるし、人に対する深い理解も増してくる。

人に対する寛容度も経験と比例して増えていく。

敵と思ってしまうほど苦手意識を感じる相手でも、飛び込んで付き合ってみれば、意外とそれほど嫌いにはなれない相手だったりする。

そもそも、たった一度の貴重な人生を謳歌したいときに、積極的に人を嫌いになる理由はない。

無理して好きにならなくてもいいが、わざわざ嫌いになって敵と思う必要もないのだ。

【上司があなたを見てくれないのはなぜか?】

「部長は全くわかっていない!」「何を見てこんな指示を出しているのか?」「俺の頑張りをなんでこんなに見ていないのだ」と不満をため込んだことはないだろうか。

私(著者)もそうだったが、平社員のときはとにかく課長も部長も無能に見えたものである。

下から1日中じっと見ていれば、上司の至らなさなどいくらでも見つけられる。

よく食事に誘われると「うざい」と言い、声もかけてもらえないと「コミュニケーション能力のない上司」と一刀両断していた。

「あいつばっかり可愛がっていて不公平だ」とか「上にばっかり気を遣って長い物には巻かれるばかりだ」とか、生意気な評価を同僚や先輩と下してはくだを巻いていた。

多くの部下が下から上司を同時に見ていれば、上司の至らなさには多くの部下が気付きやすい。

ガス抜きのために悪口を言い合っていることもあるので、下から見た上司の悪情報は共有されやすく、上司への不渦はたまりやすい。

10人の部下がいれば20個の目が1人を常に見ているのだ。

しかし、1度部下を持って上司になってみれば、多くの部下を同時に公平に見ることなどなかなかできないことがわかる。

上司になれば2個の目で10人を見ないといけない。

人ひとりを注視することはできるものではない。

加えて、部下を持つということは、その部下の命運を含めて部門の責任を持つということである。

たいていの場合、上司と部下で一蓮托生(いちれんたくしょう)となって数字に大きな責任を負わされる身になる。

部下からの評価より先に本業の部門での成果を数字で出すことが求められるわけだ。

さらに、人を使って成果を出さなければならない。

そのため、情報収集や調整で上との連携が欠かせず、ヒラから見たら相手にもされない雲の上の人にも気を遣わないといけない。

このように、部下の頃は上司に不満ばかり言っていた人も、自分が上司になって初めてその大変さがわかることになる。

だからこそ、不満がたまったときには上司に批判的になる前に、上司の目線になってシミュレーションしてみることが大切だ。

ビジネスも政治も外交も、相手の立場になて思考できれば、「百戦危うからず」である。

相手のこちらに対する対応が気に人らないことへの不満の改善の第一歩は、相手の立場に立ってみることなのである。

昔は、上司は部下に一方的に命令していればよかったが、今の時代は、そんな調子でやったら、「セクハラだ」「パワハラだ」「ブラック企業だ。辞めてやる」となりかねないので、上司も部下に相当に気を遣ってやる気を出させないといけない。

そのため上との付き合いに勝るとも劣らないくらい、下との付き合いでくたびれ果てる。

それなのに下は下で、アピールや実績が不足している場合がほとんどなのに、「課長は俺を見ていない」とダダをこねてしまう。

上司に評価してほしかったら、このように、上や下との付き合いでくたびれ、責任を負わされているであろう自分の上司の立場になってみて、その人が何を部下にしてほしがっているのかを想定してみよう。

上司が欲しいのは「数字による成績」かもしれないし、「部内の人間関係の調整」しれないし、「上司のさらに上へのアピール」かもしれない。

次に、その中で何が最分が貢献できるのかを想定してみよう。

「よし、しっかり稼いでやろうじゃないか」でもいいし、「上司を誘って、部内で仲の悪いあいつとあいつを一緒に飲みに連れていって、仲直りとまではいかなくても、皆がより頑張れる環境作りをしよう」とか「自分の上司のさらに上の上司に、さりげなく上司をアピールしてみよう」とか考えてみてはどうか?

このように書いたものの、能力というものは人それぞれなので、ざっくりと結論づけるのはよくないが、たいていの場合、平社員には高度な人間関係の調整より、数字で結果を出すことを上司は求めるし、数字を出すほうが人間関係の調整より楽な場合が多い。

だからこそ、下は上司が喜ぶような成果を数字で上げるべく奮闘すべきだろう。

そして、大事なのは上司へのアピールである。

「頑張れば誰かが見ていてくれるもの」という甘い考えは捨てて、ちゃんと自分の実績は正々堂々と上司にアビールしよう。

前述のごとく、部下が一人の上司をじっくり見るほど、上司は部下一人ひとりをしっかりと見られない。

「ちゃんと見ていてくれる」なんて甘い考えは捨てて、「多分気付いていないよ」との想定のもと、しっかりアピールをしていくべきだ。

「私がここをこれだけやりました」「この数字のこの部分は私が作ったものです」とアピールするのだ。

細かく正確にわかってもらえるように、上司にはこまめに報告という名のアピールを地道に積み重ねていこう。

↓ 参考書籍

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