【 いいときも、悪いときも変わらない】
「道」の前には万物が平等である。
だから、「道」はこの世を平らにするよう作用する。
やりすぎればへこまされるし、どん底に落ちれば引き上げてくれる。
そこを理解したうえで、「道」に調和を取られる前に、自分で偏りをなくすよう努めなさい。
ちょっと、ボールを前に投げる格好をしてください。
どうですか?
腕を後ろに引きましたよね。
当たり前ですよね、腕を後ろに引いて力をためなければ、ボールは前に飛んでいきませんから。
ここでは、「道」は常に、そういう逆の力を働かせて、世の中のバランスを保っていることを言っているのです。
「出る杭は打たれる」という言葉があるように、能力と運に恵まれてぐんぐん頭角を現していっても、調子に乗ってやりすぎると、「道」にコツンとへこまされる。
それは「図に乗ってるんじゃないよ、もっと謙虚になりたまえ」という、「お仕置き」でもあるのです。
逆に、不遇続きでどん底に落ちてしまったようなときは、「道」が浮上できるように手助けをしてくれます。
しかし、「道」が偏りを正してくれるのなら、それに任せておけばいい、というのはちょっと違います。
誰でもできるだけ、転落は避けたいですよね。
大切なのは、「道」のこういう働きを理解して、自分から偏りを正して調和を取るよう心がけることです。
とりわけ上り調子のときは、謙虚になることが重要です。
企業でよくあるのは、「大幅な増収増益を達成。よし、ハワイへ社員旅行だ」というような、身内での大盤振る舞い。
そんなことは逆に、うまくいかなかった年にやるべきです。
では、増収増益のときには何をしたらいいかと言うと、じきに「道」の働きで谷底に落とされることを予測して、利益をお客様に還元する。
例えば、社長自ら取引先を回って、「感謝の気持ちです」と、ちょっとした贈り物をするとか、お店で謝恩割引を実施するといったことです。
あるいは、研究開発や設備に思いきった投資をして、より良い商品・サービスの提供に、エネルギーを傾注するのも良いでしょう。
また、個人の人生においては、好調だからといって有頂天にならず、自分が一番つらく苦しかった、でも夢に向かって踏ん張っていたときの状況に立ち返ることです。
そうすれば、慢心することがなくなり、転落の一途をたどる危険を未然に防ぐことができます。
言い換えればそれは、自分自身の原点を忘れないこと。
何をやってもうまくいかないときでも、自分はダメ人間だと落ち込まないですみます。
なぜなら、誰もが原点をたどれば、「自分にはもともと地位も財産も何もなかった。あるのは夢だけじゃないか」と思いだすはずです。
自分がどんな状況にあっても、謙虚な気持ちで自らの心の調和を図る。
そういう姿勢が、この世を平らにするよう作用する「道」のありようを自己のありようとすることでもあるのです。
【いま、大事なのは人間らしい生き方をすること】
最先端の技術ほど困ったものはない。
先の震災を思い起こしてみよ。
ライフラインが停まった瞬間に、放射線による汚染が広がり始めた瞬間に、人々の暮らしがひどく脅かされたではないか。
文明にすっかり頼り切らず、自力で暮らしていけるだけのもの、自然と生きる「人間の心」は残しておかなければならない。
自然崇拝も極めれば、人間は餓死するしかありません。
だからこそ、文明が生まれ、我々はその恩恵に与っています。
文明そのものを否定しているわけではなく、要はバランスを取りなさいということになります。
特に近年は、文明への依存が高まっていて、そのバランスが大きく崩れています。
結果どうなるか。
人間の心と暮らしが文明に乗っ取られてしまいます。
そのことへの警鐘として先の「震災」を上げました。
要は、「文明に依存するのはほどほどにしなさいよ、人間らしい暮らしができる部分をちゃんと残しなさいよ」ということです。
たとえば、いつもは水道を便利に使っているけど、水道が止まってしまったら井戸水を使えるようにしておくとか、停電になっても当面は大丈夫なように様々な準備をしておくとか、そういう事が大事になります。
その意味では、現代のIT社会は、文明の極みと言えます。
だから、非常に怖いものがあり、たしかにインターネットやメールは便利です。
仕事の連絡や情報収集ならびにやり取りが一瞬にできますから、それがなかったころより格段に効率的に仕事を進めることができるようになりました。
しかし、その反面、仕事が減るどころか増える一歩ではありませんか?
四六時中、仕事に追いかけられている感じで、心が休まる暇もないのではありませんか?
あるいは人間がやっていた仕事がことごとくコンピューターに奪われ、失業者の増加に歯止めがかからなくなる可能性もあります。
文明は人の仕事や暮らしを便利にするけれど、一つ進歩するたびに人間から人間らしい暮らしや心をどんどん奪っていく、そこは認識しておかなければなりません。
そして、ときにスマホやPCから離れ、電気もガスも水道もないような田舎で数日過ごしてみてはどうでしょう。
現在の状況では、難しいかもしれませんが日常の便利から少し距離をおいて、「自然」や「アナログ」な時間を過ごすと、文明に侵食されっぱなしの暮らしに風穴をあけることはできます。
【平穏なときほど有事の備えを】
何事も起こらず、困ったこと、嫌なこともないとき、ただ安穏と暮らしを楽しんではいけない。
そういう時こそ、何か起きるかもしれない未来を予測し、危険に対する備えをしておくことが必要だ。
「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」と過ごしていると、「平和ボケ」と言いますが、気分がふやけてしまいがちです。
そうなると、忍び寄る困難や危険の足音も聞こえず、気がついたときにはもう時すでに遅し。
昔のお侍さんではないけれど、「晴天の霹靂だ!」とばかりにただただ騒ぐしかなかったり、簡単に困難に絡め取られます。
あなたは地震の備えをしていますか?
たいていの人はどこかで大きな地震が起きると、途端に「水や食料を備えておかなくちゃ」「防災セットを買っておかなくちゃ」と慌てるでしょう。
でもすぐに忘れてしまうのです。
また、両親が寝たきりになってしまうかもしれないことに備えて、ちゃんと手を打っていますか?
「いま、元気だから大丈夫」と安心してませんか?
元気だからこそ、元気なうちに話し合って、余裕をもっていろんなことを調べて、いざというときに役立つようにしておかなければなりません。
ビジネスだってそうです。
順調に進んでいるからといって、温泉につかってのんびりしている場合ではありません。
どこかに落とし穴があることを想定して、早め早めに手を打っておく必要があります。
そういう事も、大した問題がないときだからこそ、落ち着いてできるのです。
一事が万事、平穏無事のときこそ、緊張感をゆるめずに用心深く暮らす。
そうして何が起きても大丈夫なだけの備えができて初めて、安心できるのです。
↓ 参考書籍
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