【仕事上手になりたければ遊び上手になれ】
遊び上手な人間は仕事もできる。
昔からこういわれてきたが、その傾向は最近ますます強まっている。
これからの時代、少なくとも「遊び心」のない人間は、仕事も中途半端にしかできないだろう。
まじめ一方だけではもうダメです。
まじめは罪悪でさえある!そうです。
成熟期を迎え世の中が豊かになって、仕事の質が変わってきたからです。
以前は、単純作業でも人がやらなければならない仕事がたくさんありました。
そういう仕事は難しくないが、まじめにコツコツやる必要がありました。
今、その種の仕事は機械や道具、PCやAIがやってくれるようになりました。
わざわざ人間のする必要はなくなったのです。
人間がする仕事は着想、決断、創意工夫など、馬力型から脳力型へ移行しています。
それに適応できないと、評価してもらえないのです。
また、脳の研究から「まじめな努力」がもたらす仕事の成果は、平均レベルを出ないこともわかっています。
人より抜き出た成果を上げるためには、今までと別の手立てを考えなければならないのです。
さらに、勤勉やまじめさを企業がことさら望まなくなったのも事実です。
「不真面目でいい」というわけではありませんが、まじめさの優先順位は大きく後退しているのです。
たとえば分析器機の社長は「企業は、おもしろおかしい体質をもっていなければならない。個人の側から見れば、会社がおもしろおかしくなかったら、そんなところにいる意味はない。そうかといって、はじめから企業におもしろおかしいところがあるかというと、そうはいかない。だからみんな寄ってたかって、おもしろおかしい職場にしていこうではないか、よいうことだ」
今はこういう時代なのです。
「私はまじめだけが取り柄です」などいってる場合ではないことが、実感している方もいらっしゃるでしょう。
「遊び心が大切」というのは、そういう意味なのです。
しかし、急にそう言われたって困る人もいるでしょう。
まじめ一筋で成果を上げてきた人ほど、そうだと思います。
そういう人に知っていただきたいことは、「フロー状態」に入るということです。
フローとは「流れ」のことで、シカゴ大学の心理学者たちが「人間の能力発揮と心の関係」について研究した結果、明らかになったのがフロー理論です。
この理論は、人は誰でも一日に何回かフロー状態になります。
フロー状態とは、ボーっとしていたり、タバコをすったり、テレビを観たり、ぶらぶら散歩をしたり、一般的にいえばくつろいでいるようなときです。
この状態が、実は人間にとって「貴重なひととき」なのです。
というのは、個人の意識と外部環境との境界が曖昧になって、時間の流れに身を任せた状態になるからなのです。
こうした「フロー状態」で仕事をするとどうなるか、フロー状態の第一人者のチクセントハイは次のように語っています。
「外科医は最難関手術を寸分の狂いもなくこなし、走り幅跳びの選手は驚異的な世界記録を打ち立て、テニスプレイヤーはボールが2倍の大きさに見え、ロッククライマーは登っている岸壁と一体化し、次にどこに取りつけばいいか本能的にわかるようになる」
つまり、フロー状態では誰もが「向かうところ敵なし」のすごい能力を発揮できるということです。
そこで、「どうしたらフロー状態にもっていけるか」を、今多くの研究者が追求中だが、その過程で、見えてきたのが「遊び心」なのです。
幼児は毎日屈託なく、好きや嫌いや快不快、あるいは好奇心の赴くままに従っています。
そういう時の幼児の脳波を測定してみると、フロー状態特有の数値を示すそうです。
幼児が大人の何倍ものスピードで、いろんな能力や知識を身につけていけるのは、フロー状態のおかげであると考えられるのです。
したがって、大人もフロー状態のまま仕事に没頭できれば、今の何倍、何十倍の能力が発揮できても不思議ではないのです。
事実、過去に偉大な業績を上げたような人物は、幼児が持つような「遊び心」の持ち主だったことが確かめられています。
「遊び心」の特徴は、欲得も打算も確固とした目的もなく、興味と快感原則に沿って没頭する点にあります。
とにかく「夢中」になることです。
大人がフロー状態になるポイントも、このような遊び心を持つことにあると考えられます。
つまり、フロー理論が教える最良の選択肢は「遊び心をもつこと」といっていい。
「遊び心」は「ゆとり心」でもあります。
このことは「遊びの上手な人間は仕事もできる」という私たちの経験値とも見事に合致しています。
まじめさは否定されるものではないが、いつもでもそこに留まっているのはダメです。
仕事で良い成績を上げたいなら、もっと遊び心をもったほうがいいでしょう。
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【何でも「面白いな」と思える人が勝つ】
終身雇用、先行序列がきちんと機能していた時代は、そこそこの会社に一度就職してしまえば、あとは企業内でどう生き残るかを考えるだけでよかったです。
ところが今は、一流企業のサラリーマンもリストラの不安に怯える時代です。
何を頼りにしたらいいか、多くのサラリーマンは戸惑っています。
その戸惑いの最大のものは「会社とどう向き合うか」ということでしょう。
中には新しい視覚を取って転職に備える人間もいる。
また、上司との関係をうまく保って、リストラの心配を払拭(ふっしょく)しようと努力する人もいます。
しかし、現実問題として資格の取得も人間関係も「絶対」ではないから、不安はますます増大し、うつになったり自殺する人もいます。
近年、中高年の自殺が増えているのは、サラリーマンの生きがい喪失の不安が大きいからだと思います。
ですが、不安や心配をなくそうとするのはやめたほうがいいです。
なぜなら、どんな環境や条件が整えられても、不安や心配は決してなくならないからだ。
「先行き不安」などというが、将来とか先行きは、いつだって不安なのだ。
この不安とどう付き合っていくかが問題なのです。
これからの時代は、漠たる不安とうまくつきあえるかが重要で、どんな仕事で収入を得て、どう生きていくのか、一人ひとりが考えなければならいのです。
それを面白いと思える人は勝ち、気弱になる人は負けの時代となってしまう。
どんな人生も山あり谷ありで、いいことばかりではないが、どんな境遇にあっても凹むのではなく、何でも面白がれる体質でいること、それが難関を乗り切り、明るい未来を築く基本的な条件ということになります。
【仕事は男の中身を作り、遊びは男の行間を広くする】
面白いアンケート調査結果がある。
人気女性誌の絹集長に「看板モデルの条件とは何か」と聞いたところ、いろいろな答えの中に一つ共通項があった。
それは「私生活こそが重要」という答えだった。
圧倒的に外見の美しさに目がいくモデルの仕事も、容姿だけでなく私生活と追いう目に見えない要素が大きく関わっている。
豊かで幸せな人生を送っていると、容姿の向こうにそれが透けて見える。
容姿の奥にある人間的魅力が看板モデルには必要らしい。
しかし人間的魅力が大切なのは、モデルに限ったことではない。
男だって仕事ができるだけで十分とはいえない。
言葉で簡単に言い表せないような魅力的な部分をもっている人間でないと、決してよい仕事はできないものだ。
「四十歳を過ぎたら男は自分の顔に責任をもて」とよくいわれる。
だが、この年齢を過ぎた多くのこ男性は、鏡で自分の顔を眺め「やばいなあ」と思うのではないだろうか。
自分で見る限り、少しも責任がもてるような立派な顔をしていないと感じるだろうか。
だが、この点は心配することはない。
顔というのは自分で見るのと他人が見るのとでは印象がかなり違うからだ。
何かに没頭しているときは、みんないい顔をしているものだ。
自分で鏡を見るときとは違っているのだ。
ただ、逆に人を憎んだり嫉妬したり、よくない心理状態のときは、その表情も必ず顔に出る。
普通の人はなかなか気づかないが、観察力の優れた人、修羅場を経験したような人は、すぐにそれを見抜く。
誰でも年齢相応の「いい顔」になりたいと思っているだろう。
しかし、なかなか思い通りにはなれない。
そこで私が勧めたいのは「大いに遊んでみる」ことだ。
ここで遊ぶというのは何も「飲む、打つ、買う」のような遊びだけではない。
人生のあらゆる営みを遊び心をもって臨むのがいいということだ。
もちろん「飲む、打つ、買う」でもいい。
若いときからこの三つの遊びに、徹底して励んできた人を私は知っているが、彼は仕事も人並み以上にてぎるし、なかなかの人格者でもある。
そして味のある「いい顔」をしている。
ところが、その人から遊びの中身の話を聞くと、信じられないはどくだらないし、低俗もいいところ・・・
軽蔑したくなるような内容なのである。
今、目の前にいるその人の言動とどうしても一致しない。
だが、その人は確信をもってこういうのだ。
「私は遊びから多くのことを学んだ。もし遊んでいなかったら、今の私はない」
若者に人気の蛯原友里さんというモデルがいる。
彼女には他のモデルにはない、そこはかとない魅力がある。
若い女の子たちは、彼女の発散する魅力を敏感に感じ取っているのだろう。
著者も彼女に好感をもったそうです。
そして思ったのが「この子はどんな育ち方をしているのかな」ということだった。
まもなくその一端がわかった。
彼女がインクビューでこう答えていたのを開いたからだ。
ここまで育ててくれた親なんですから、恩返しをするのは子として当たり前のことでしょう?
今どきの女の子がいうセリフではない。
こういうことがスラスラいえる育ち方をしたことが、他のモデルと一味違う好ましい個性を感じさせ、若い女の子たちにウケている理由なのだろう。
見えない私生活が容姿や人格形成に関わることは男女とも変わらないが、やはり男女で差があるように思う。
男性の場合は、いくら低俗な遊びをしてきても、それらをみんな栄養にして「いい顔」になれる。
だが、女性の場合はどうも男のようにはいかないようだ。
このことは女性誌の編集長の見方と奇妙に合致する。
彼らがいう「看板モデルは私生活が重要」ということは、私生活が荒れてくれば、それが透けて見えてしまうことだ。
そうなっては、女性読者対象のモデルには適さなくなるからもう使えない。
だが男は違うと思う。
どんなに低俗な遊びを繰り返してきても修羅場を経験しても、そこから何かを学ぶ姿勢さえもっの成長の味方をするのだ。
男の遊ぶ才能とは、遊びから何かを学ぶ才能のことといっていいだろう。
そのかわり、ただ遊ぶだけで、そこから何も学べないボンクラ男は、どんな女性からも軽蔑されるような情けない男になっていきます。
だから、男はいい顔になりたかったら、もっと積極的に遊んでみること。
そして遊びから学ぶことだ。
男にとって遊びとは人生の行間を学ぶことなのだ。
↓ 参考書籍
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