人間、出世したかしないか、ではありません。卑しいか卑しくないか、ですね。 永六輔 - 『職人』
寄るとさわると会社の悪口ばかりいっている人がいます。
「まったく最低の職場だよな」「あの課長の顔を見なくてすむなら、どんな仕事でもするわ」。
だが、こんなことをいってクダを巻いていた人が、いざ、リストラを勧告されると突然、豹変する。
どんな仕事でもいい。
なんとか会社にいたい、といい出したりする。
人間には誰にもそうした身勝手な側面がある。
手元にあるもののありがたみに気かつがないのだ。
つまらない仕事だと思うのは、その仕事におもしろさを見いだす力がないから。
イヤな上司だと思うのは、自分がその上司のよさに気づかないだけ。
私は、断固、そう思う。
ある女性社員の話。
4年制大学を出て意気揚々と入社したものの、与えられる仕事は会議資料の入力やコピー取りばかり。
内心、大いに不満だった。
だが、ある日、入力するということは、誰よりも早く企画内容に触れられることではないかと気がついたのだ。
それ以後は、ただ機械的に入力するのではなく、企画内容を理解しながら入力するようにした。
すると、しだいに、なんとなくではあるか、企画の立て方、企画書のまとめ方のポイントがわかってきたそうです。
ある日、部内で侃々誇々(かんかんがくがく)の議論を重ねていた案件に、自分なりの視点から企画を思いつき、企画書にまとめると思いきって上司に提出してみた。
この企画そのものはまだ詰めが甘く、そのまま採用とはならなかった。
だが、彼女の視点のユニークさは大いに評価され、やがて企画会議の末席に座れるようになったという。
「つまらない」といっている間は、仕事はけっしておもしろくなることはない。
目の前にあるものから、おもしろさを発見できるかどうか。
偏差値が高いか低いかよりも、人生では、こちらの能力のほうがずっと大切だし、役に立つものだ。
私も「つまらないな~」と思う仕事をしたことが、もちろんあります。そんなときは職場の人間の「動き」「声」「表情」「歩き方」「姿勢」などを観察していました。そうすると、「誰が仕事ができるか」「誰が一生懸命やる人か」が見えてきます。そして、いい部分だけを真似るのです。
危険がみなぎる家は、安全すれすれの所に建っている。 ー アラビアのことわざ
過日、テレビで「いかにしてホームレスになったか」というドキュメンタリーを放映していた。
登場したホームレスは、半年前までは中堅の商社勤務だった。
長らく手がけてきた部門が閉鎖されることになり、他部署への異動を打診されたのだが、「自分ほどの実績があれば、すぐに就職先は見つかるだろう」とさっさと辞表を書いて辞めてしまう。
しかし、商社で閉鎖してしまうような部門での経歴が生かせる仕事など、そう簡単にあるわけもなく、彼はしだいに荒れていく。
雇用保険だけでは生活できず、妻はパートに出るようになる。
あれやこれやで夫婦喧嘩。
ある日、身の回りのものだけもってプイと家を出たものの行き場はない。
最初の数日こそカプセルホテルで過ごしたが、資金は尽き、やがて、シャッターの閉まったビルの前で夜を過ごすようになった。
すぐにそれにも慣れ、気がついてみたら立派なホームレスになっていた。
私は、不思議だった。
なぜ、商社で与えられた新しい職場に行って、自分を試してみようと思わなかったのだろうか。
おそらく、彼は、そこでは自分の経験は生かせないと思い込んでしまったのだろう。
こんな例がある。
Bさんは大手メーカーの某国駐在員から、その国の日本大使館へ出向を命じられる。
「大使館の一等書記官」といえば聞こえはいいが、与えられた仕事は使い走りに毛が生えたようなものだった。
だが、Bさんは、これを機会に、メーカー内にいたら絶対に会えないような人に、みずから出かけて盛んに会って回った。
大使館行事の案内状は郵送するのかふつうだか、彼は足を運び、案内状を手渡すと、多少の世間話をかわしてくる。
こうして彼の人脈は、メーカー勤務時代には考えられないほど豊富なものになった。
現在はメーカーに戻り、さらに重要なポジションにあるが、大使館勤務時代に得た豊富な人脈が、仕事上でももちろん、何よりも彼のプライベートライフを豊かにしてくれた。
と、満足げな表情で語っていたそうです。
タイトルにもありますが「雑にやるから雑用」という言葉があるように、「雑」にやっているから「雑用」になるのです。たとえ、「掃除」ひとつとっても、「隅々までやる」「他の人が気づかないところまでやる」「普段、見逃しがちな場所をやる」など、他の人がやらない場所までしっかりやる。そうすると、仕事でも皆が気づかない問題もあなたには見えてくるはずです。すべてを「学び」に変えて・・・
↓ 参考書籍
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