腸内細歯はみなさんのおなかのなかに棲んでいるパートナーです。
きっと「パートナー」といわれても、いまひとつピンと来ない方もいらっしゃるでしょう。
でも、このパートナーは、みなさんの生命活動を維持するために日々、身を粉にして働いてくれているのです。
腸に入ってくる食べ物を消化・吸収して、不要物を排泄しているのはもちろん、侵入してくる病原菌を追い出したり、ビタミンやホルモンを合成したり、セロトニンやドーパミンなどの幸せ物質のもとをつくったり・・・。
また、がんやアレルギー、感染症などから身を守ることができるのも、うつ病などの心の病気にならずに済んでいるのも、じつは腸内細菌の働きによる部分が大きいのです。
とにかく、わたしたちが一生無事に、健康で生きていくために必要なことの多くが腸内細菌の日々の働きによって生み出されているといっていいでしょう。
では、いったいどうして腸内細菌はそんなにがんばって働いてくれるのでしょうか。
それは、そうしないと自分たちも生きていけないからです。
わたしたちの腸に棲む腸内細菌は、わたしたちの腸のなかでしか生きていくことはできません。
したがって、わたしたちが病気になって腸が弱ったりすると腸内細菌は困ってしまいます。
腸内細菌は、自分たちが生き延びて子孫を増やすことができるよう腸が弱ったり病気にならないようにしているのです。
だから、腸内細菌には、母体を弱らせたり死なせたりしてしまわないように、人間の健康を維持するいろいろな機能が組み込まれているのです。
そして、腸内細菌はそれらの機能をフル活用して働きながら、わたしたちが生まれてからいまに至るまで、ずっと体を守ってきてくれているわけです。
まあ、腸内細菌たちからすれば、「おれたちが、棲みかを失わないように毎日せっせと働いて、おまえの体の健康を守ってやっているんだから、おまえもちゃんと食べていつまでもおれたちにエサを供給し続けろよ」というところが本音なのかもしれません。
要するに、わたしたち人間と腸内細菌の間では、持ちつ持たれつの相互扶助関係が成り立っているのです。
彼ら腸内細菌の助けがなくては、わたしたちは生きていけません。
そもそも、人間が脳を発達させて今日の繁栄を築くことができたのは、腸内細菌をたくさん取り入れたおかげだという説もあります。
人間のおなかのなかに棲息する腸内細菌数は、ほかの動物と比べて突出して多いことが知られています。
ところが、腸の長さはほかの動物に比べてかなり短い。
すなわち、たくさんの数の腸内細菌に棲んでもらって、手間のかかる腸内作業を効率よく進められるようになったために腸を短くできたのです。
さらに、腸を短くしたせいで腸にかかっていた分のエネルギーを脳に回せるようになり、脳を大きくすることができました。
そして、人間は脳を発達させて知恵を持ち、手を使って道具を編み出し、食糧を安定的に得られるシステムを築いて個体数を増やし、文明を築くことができたというわけです。
ですから、人間が人間たりえたのも、人類が繁栄することができたのも、元をたどれば腸内細菌のおかげのようなもの。
本来、わたしたちは、腸内細菌が体内に棲んでくれていることに対して多大な感謝を捧げるべきなのでしょう。
わたしたち人間は、腸内細菌のおかげで生きている。
いや、腸内細菌のおかげで「生かされている」といったほうがいいのかもしれません。
腸内細菌とわたしたちは、生きるも死ぬも一緒。
一生涯、人生を共に生きていく運命共同体です。
この運命を共にするパートナーは、とても大きな力を秘めています。
病気になるかならないか、健康を維持できるかできないかは、このパートナーをいかに待遇するかで大きく変わってくることでしょう。
それだけではありません。
太り具合も、老化の進み具合も、何歳まで生きられるかも、このパートナーをどう待遇するかで大きく変わってくることでしょう。
つまり、みなさんがこれから先、自分の人生をどれだけ輝かせられるかのカギを腸内細菌というパートナーが握っているのです。
だったらみなさん、このパートナーと手を組んで、とことん仲よくしていったほうがいいと思いませんか?
できる限りのおもてなしをして、パートナーの持つ力を存分に発揮してもらったほうがいいと思いませんか?
もしわたしの提案に異存がなければ、まずは自分のおなかのなかに、自分にとってかけがえのないパートナーが棲んでいるんだ!としっかり意識してみてください。
そして、「いままでいろいろ働いてくれてありがとう。これから先もよろしくね」と、ねぎらってあげましょう。
【脳より腸のほうがかしこい!】
ミミズと同様に、いや、それ以上に著者が愛しているのがサナダムシです。
みなさんはミミズとサナダムシのいちばんの違いがどこにあるかご存じでしょうか?
実はミミズには脳がないのに、サナダムシにはちっちゃな脳があるのです。
サナダムシは、腹側神経系動物では初めて脳を持った生き物なんです。
脳を持った腹側神経系動物は、その後、イカやタコ、節足動物などに進化していきます。
一方、背側神経系動物ではナメクジウオや、ホヤなどの尾索(びさく)類あたりから神経管が出現し、それが脊椎動物の管状神経系、すなわち脳へと発展していきます。
そして、脳を持った脊椎動物は、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類へと進化を遂げ、わたしたち人類は大脳皮質が発達した高性能の脳を持つに至ったわけです。
ここでは腸と脳の関係性の話をすることにしましょう。
進化をさかのばればわかるように、腸は脳よりもずっと先にできています。
まずは腸ありき。
生き物は気の遠くなるような長い年月をほとんど腸だけの姿で過ごしてきました。
先ほど、ミミズの例でも挙げたように、考えたり、判断したりといったことを腸がすべてやってくれるから、脳がなくてもそう困ることはなかったわけです。
では、なぜ脳が現れたのか。
多くの研究者は、脳は「食べる」ために生まれたのだと指摘しています。
腸はなるべく効率よくエサを得てエネルギーを取り込んでいかなくてはなりません。
それで、そのための「作戦室」を必要としたのです。
つまり、それが脳。
脳は、もともとは腸が自分の生存をより有利に運ぶために備えつけた器官であったわけです。
だから、本来、脳は腸の配下にあった存在なのです。
ところが、脳はどんどん発達して大きな顔をするようになり、いまではすべての決定権が自分にあるかのような態度をとっています。
腸からすれば、もともと自分の下請け会社だった存在が急速に発展して、いまでは自分以上の大会社となって、自分を差し置いて指揮を執っているような感じなのかもしれません。
それに、よく「腸は第二の脳」といったいわれ方もされていますが、これも腸からすればかなり不本意なはずです。
腸にとっては、脳ははるか遅れてやってきた新参者に過ぎません。
その脳が「第一」で、大先輩の自分がいうのは、納得いかないものがあるのではないでしょうか。
「第二」とわたしは、腸こそが人間の第一の思考器官だと考えています。
まあ、いささか腸のほうをひいきしているところはありますが、大まじめに「脳よりも腸のはうがかしこい」と考えているのです。
その理由を述べるとしましょう。
①腸は、脳にはできない判断ができる。
見た目は普通なのに、食中毒菌が混入した食べ物があったとします。
脳は、それを口に入れろという判断を下すことでしょう。
でも、腸は、食中毒菌が入ると、「コイツは入れちゃダメだ」という判断を下して拒絶します。
安全ではないものが入ってくると、嘔吐や下痢を起こして体外へ出そうとするのです。
つまり、脳は口に入れるものが安全かどうかを判断することができませんが、腸はそれが判断できるということになります。
②腸は、脳の指図を受けなくても動く。
体はだいたい脳の指令を受けて動いていますが、腸は違います。
脳の指図を受けることなく、独自の判断で動いているのです。
たとえ、脳死になったとしても、腸はひとりで機能し続けることができます。
しかし、腸が完全に死んでしまうと、脳の働きも完全にストップしてしまうことになります。
③腸には、脳に匹敵する神経細胞ネットワークがある。
人間の腸内には、約1億個の神経細胞があり、網目状の神経ネットワークを築いています。
神経細胞の数こそ脳に及びませんが、腸内の神経ネットワークにおいて思考や情動に影響をもたらす多くの情報がやり取りされているのです。
著者は、人間の心のベースは腸内で生み出されていると見ています。
そして、その形成に大きな働きをしているのは、おそらく腸内細菌です。
今後研究が進めば、腸と心の関わりがよりいっそう明らかになってくるのではないでしょうか。
④腸は、幸せな感情を生み出している。
腸はセロトニンやドーパミンなどの幸せ物質のもとを生産しています。
こうした物質が腸内でたくさんつくられていれば、その人の心は明るくポジティブで、幸せ感に満ちたものになります。
逆に、腸でその物質の生産が少ないと、その人の心は暗くネガティブになってしまいます。
これにより、うつ病などの心の病気になってしまうことも少なくありません。
すなわち、心の健康のカギは腸が握っているといっていいのです。
⑤腸は、ウソをつかない。
脳は見栄っ張りのうぬばれやです。
真実をねじ曲げて、偏見に満ちたものの見方をすることもあります。
〇を▢といったり、口を△といったりして、しょっちゅうウソをつくのです。
でも、腸はウソなどつきません。
〇は〇、口は口、△は△と、しっかり分類整理して、実直にまじめを貰き通します。
腸は、少々堅物過ぎるくらいの正直者なのです。
⑥腸は、欲に溺れない。
脳は、意志薄弱で目先の欲望にとらわれがちです。
ついついポテトチップスをひと袋空けてしまったり、満腹なのにお寿司をもうひと皿食べてしまったりするのがいい例。
しかし、腸はそんなことはありません。
食べ物も含めて日々を生きていけるだけのものがあれば、それで満足。
常に謙虚であり、分を超えて欲張ることがないのです。
⑦腸は、体のことを第一に考えている。
脳は、お調子者の遊び人。
時にはハメをはずすこともあります。
食べ過ぎたり、飲み過ぎたり、たばこを吸ったり、生活を乱してしまった・・・体によくないことをするのもしょっちゅうです。
でも、腸は至って体思い。
体によくないことが続くと、すぐに便秘や下痢などで不調を訴えます。
心身が弱ってしまうことは、腸内細菌にとっても都合の悪いこと。
だから、腸はいつも体を第一に考えて、もくもくと仕事に励んでいるのです。
いいかがでしょう。
①~⑦を読むと、「脳よりも腸のほうがかしこい」と思えてくるのではありませんか?
とにか<、腸もいろいろ考えているのです。
もちろん、哲学的な問題を考えたり難しい計算をしたり、言葉や文章で何かを表現したりする知能は腸にはありません。
そういった学校で勉強するような能力では到底、脳に及ばないのは明らかです。
しかし、日々の生活に根差した「どう生きるか」「どちらを選ぶか」という部分では、脳よりも腸のほうがかしこい選択をすることが多いと思うのです。
少なくとも「より健やかに生きていための知恵」という点では、脳の判断よりも腸の判断に従うほうが利口なのではないでしょうか。
腸は、脳よりも何億年も前に誕生しています。
ミミズのような形態をしていたころから、必要な生存機能がしっかり埋め込まれています。
だから、腸には「生きていくには、いま何をすべきか」「生き残るためにはどっちを選ぶべきか」という本能的な知恵がインプットされているのではないでしょうか。
そして、生きていくために腸がくだす判断は、脳がくだす判断よりもたぶん正しいのです。
わたしは、人の人生には、脳の考えに従うよりも、腸の考えに従ったほうがいいという局面がたくさんあると思っています。
腸の考えを生かしていくことができれば、きっとわたしたちは、より長く、より健やかに生きられるようになっていくのではないでしょうか。
あまり意識はしませんでしたが、「腸活」の書籍を数冊購入し、ただいま勉強中です。「人は食べたもので動いている」ので、食べ物って大事ですよね。かつ、「腸」にいいモノを意識すると、メンタルまで改善されるようです。
↓ 参考書籍
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