どんなにベッドが温かくても、そこから出なくちゃいけない - グレース・スリィック(アメリカの歌手)
最近の若者にはどうも覇気を感じない。
これは、著者のせりふではないので、念のため。
仕事でお目にかかる会社経営者の方々などが口ぐせのようにこういわれるそうです。
とはいえ、著者も精神科医という立場からも、これにはまったく同感できる。
こんなささいなことで?と首をかしげてしまうようなことで精神のバランスを崩し、精神科を訪れる患者さんが急増しているからである。
「上司に、キミの企画はこのままでは使えないといわれた」女子社員に、「ヘアスタイルがダサいと笑われた」・・・
それくらいのことで、神経科を受診するほど思い詰めてしまうそうです。
冗談じゃない。
部下の提出する企画書がみな、そのまま通用するぐらいなら、上司は苦労はしません。
「使えない」といわれたなら、練り直せばいいじゃないか。
ヘアスタイルを笑われるということは、それだけ関心を集めていることではないか。
誰も関心を抱かないような人なら、無視されるだけだ。
無視こそ笑われるよりもっと悲惨なのだ。
最近の若い人には、思うようにいかないことに耐える力、専門的にいえばフラストレーション・トレランスの急激な低下が見られる。
原因は、家庭で我慢することを教えなくなったからだと、著者はにらんでいる。
われわれの時代、子どもとは、ひたすら我慢を強いられる存在だった。
何かがほしいといえば、正月になったらとか、成績がよかったらなどといわれ、その日まで欲望を抑えて待つことを教えられた。
二番目、三番目に生まれた子など、上の子の使い古しの「お古」を使わされた。
一度でいいから新品を使いたかったと、大人になっても述懐する人がいるほどだ。
昔は貧乏でモノが不足していたからだろうか。
私はそうではないと思う。
昔の親は、辛抱させる、我慢させることがいかに大きな意味をもっているかを、体験上、熟知していたからだと思う。
最近の子は、おもちゃ屋が引っ越してきたのかと思うほどの玩具に囲まれ、多くの場合、二人の両親と四人の祖父母からかわいがられ放題にかわいがられる。
ほしいものは何でも手に入り、足らざることを知らぬまま育った子どもに、フラストレーション・トレランスが発達するわけがない。
ちょっと気に染まないことがあれば簡単にキレたりしてしまうのだ。
だが、子どものようにヌクヌクした環境で、一生を過ごせる人は、そうはいない。
著者がそうだ(私もそうです)。
東京でも指折りの大きな病院の跡取り息子として生まれ、世間的にいえば、何不自由ない身の上であるはずだった。
だが、震災や戦争に見舞われ、人生は山あり、谷ありの波瀾万丈だった。
お金の苦労もイヤというほどしてきた。
だが、だからこそ、いま私は「自分の人生はおもしろかった」といえるのだと思う。
何ひとつ波風がなかったら、人生は実に味けないものになってしまうだろう。
もし、あなたがいまトラブルの渦中にあり、悩んているのだとしだら、トラブルは人生を発展させるためのチャンスなのだと考えると良いでしょう。
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