モテたければ身銭を切れる男になれ

心理・思考・時間


モテる男は身銭の切れる男である。


事業に成功した男がモテるのも、自分で稼いだ金を使うからだろう。


男が地位やお金を求めるのは、権力欲や金銭欲もあるが、もう一つ女性への欲望も入っている。


男たちの多くは、地位とお金さえ手に入れれば、女性も自ずと手に入ると思っている節がある。


このことは銀座や六本木へ行けばすぐにわかる。


地位とお金をちらつかせて、女に迫っている男が無数にいる。


しかし、これは浅はかな見方なのだ。


表面に現れた現象を鵜呑みにして、女にモテたいために地位やお金を求めるようになったとしたら、それは本当の遊び心の持ち主とはいえない。


作家の渡辺淳一さんが雑誌でこんな経験を披露している。


「あるクラブで、某会社の役員が女性を口説いているのを、横から何気なく間いていたが、話すのは、自分がいかに偉いかということと、いかに金を使えるか、といったことばかり。要するに、金と権力だけで口説こうとするのだが、それではあまりに性急でまずすぎる。偉くてお金を使えることは女性も十分知っているのだから、自分がいかに慌てもので馬鹿っぽいか、といったことを喋ったほうが、余程もてると思う」


女性が金や権力に無頓着というのではない。


むしろ、それに魅かれるのが女性だ。


なぜなら、自分を好きになってくれた人間が、偉くて、実力も金もある人間であるほうが、プライドを満足させられるからだ。


「お金につられる女、権力に媚びる女なんか・・・」と批判するのは、地位も権力もなく、おまけにモテない男のひがみ根性で、リアリストの女はそんなことで決してだまされない。


しかし、お金にものをいわせたり、権力にものをいわせるのは、男のやり方としてはいかにもダサイ。


渡辺さんがいっているのはそういうことだ。


使い込みや横領をして、莫大な金を女に貢ぐ男がいる。


これは最も効率の悪い日説き方である。


そういう男はモテているのではなく、金を運ぶマシンにすぎない。


それで関係がもてるのは、金を運んでくるお駄賃のようなものだ。


しかし、男がお金や名誉や権力を求める動機は、「女にモテたい」であることは否定できない。


ミュージシャンや実業家だけではない。


アメリカで前途有望な科学者の卵に「あなたが研究に取り組む動機は何ですか」と聞いたら、答えのベストスリーに「女にモテたい」が入っていたそうだ。


これを低レベルのモチベーションと軽蔑することはできない。


「たとえ男がどんなに我を忘れて働こうとも、その心の片隅にはいつも女が潜んでいる」(アメリカの作家アサトンの言葉)からだ。


ただ、一つ守ったほうがいいことがある。



それは身銭を切るということだ。


これは戦略的にいっても、そうするべきなのである。


たとえば横領してきた1億円と、額に汗して稼いだ10万円では重みが全然違う。


自分にどれだけの値打ちがあるか測るには、横領の1億円より自ら稼いだ10万円のほうが重い。


いくら馬鹿な女であっても、それくらいのことはわかるものだ。


どんなにお金を使っても、それが会社の経費とわかれば、熱もクールダウンする。


だから女にモテたいなら、身銭を切るに限る。


それがわからないで、お金の多寡(たか)で勝負しようと思うから、量の競争になって無理をすることになる。


お金のある人が注ぎ込むのはいっこうにかまわないが、ない人間が無理をすると、結果は悲惨なことになる。


ケチで自分が使える身銭も切らないタイプは論外だが、お金にものをいわせるタイプの男には、実はこのタイプが多い。


自分の金でないから使えるだけの話なのだ。


女はそれを本能的に察知する。


身銭を切るほうが有利である理由がこれでおわかりだろう。



【自分スタンダードな男になれ!】

社会的な地位があったり、事業で成功したような人の中には、モテたくてモテたくてウズウズしている男がいる。


そういう男たちは「自分くらいになればモテないほうがおかしい」と思っている。


確かに、立派な地位は立派な業績の見返りであろうし、事業の成功は才覚と努力の賜物だ。


そういう勝ち組男を世間が放っておくはずはない。


男は賞賛、尊敬し、女は「ステキ!」と群がる。


プレスリーやビートルズはいい目を見ている。


それには及ばないにしろ「俺だって」というわけだ。


その気持ちはわかるし、間違っていない。


だが、そう思うことが「モテない」ことにつながっている。


そこに気つかないのは残念なことだ。


「オヤジギャル」という流行語の生みの親である漫画家の中尊寺ゆつこさんが、こういうオヤジどもに実のある忠告をしてくれていた。


そのキーワードは「自分スタンダードな男」ということだ。


「逆にダメだなあと思う人は、女の子にモテたがってる人。地位があるからこそ、モテなきゃウソだと焦っていたり。それが見えちゃうと、その人のすばらしい功績が何でもなく見えちゃう。しかも若いころモテなかったのね、とか余計なことまで考えてしまう」


「私にとって魅力があると思う人・・・それはどんな人か。まず自分だけの価値観で動いている人。自分スタンダードな男ということである。自分スタンダードな男はルックスや収入などではなく、独自の魅力的な価値観をもっているということ


彼女の考え方や意見は決して多数派とはいえないが、さすがにオヤジギャルの名付け親だけあって、オヤジの生態をよく見ている。


今のオヤジたちの多くは大衆迎告主義に陥っている。


マスコミ報道などに影響され、自分の個性も何も考えないで、今風にモテる人間になろうとする。


その結果、間が抜けていたり、かえってかっこ悪くなってしまう。


それに気づかないのが最大の欠陥なのだ。


センスというのは「自分」を離れてはあり得ない。


基本はあくまで自分の個性を土台に、そこから余裕をもって、自分の最良の部分を出すようにすれば、自分スタンダードはできあがる。


地位もお金も名誉もない人でも、自分スタンダードな男になれば輝けるのだ。


モテるための大原則は「モテようと思わないこと」に尽きる。


モテようと意識するから、相手に迎合したり、媚びたりする。


自分なりの自然体で接するのが、一番いい。



【男は外見を飾るよりも経験値を増やせ】

男も女もモテようと努力することは、今も昔も変わらない。


だが、外見で魅了させるための努力は、ついこの間まで女性の専売特許だった。


女の化粧は身だしなみの域を超えて、男に見せるためである。


見せてどうなのかは別として、見られることを意識しない女はいない。


それが近頃は男にまで伝染してきた。


「LEON」に代表される40代男性をターゲットにした男性誌の影響が大きいと思うが、男性も化粧をし、女性のように着るものにまで気を配るようになってきた。


この傾向を必ずしも悪いとは思わないが、男性誌が指南するイケメン養成講座をまじめに実践するような男には疑問を感じる。


ヨン様がいくら女性から騒がれたからといっても、ヨン様のヘアスタイルを真似、眼鏡を同じものにすればモテるというものではないからだ。



モテる奴は容姿に関係なくモテるし、モテない奴は身なりにいくら大金を注ぎ込んでもモテないのだ。


ルックスで勝負できるのは、ルックスのいい人間だけで、そうでない人間は、自分のもっている他の要素で勝負しなければならない。


そこで私(著者)が勧めたいのは、男の経験値を高めることだ。


いくら装っても、人間の生きてきた経験というものは隠せない。


よくも悪くも経験が醸(かも)し出す「何か」が誰にも必ずあり、それは目に見えなくても、絶えず放出されているものだ。


女はそういうものを敏感に察知する。


いくら流行りのファッションに身を包んでも、見る目のある女性にかかったら一発で見抜かれる。


また、そこまで敏感でない女性でも、「なぜだかわかんないけど」といいつつ、そういう雰囲気を察知するものだ。


だから、もし魅力的な男になりたければ、男を磨くような経験をすることが一番の早道なのである。


では、どんな経験が男を磨くか。


銀座ホステスの経験がある作家の蝶々さんによれば、それは二つある。


一つは「一人暮らし」、もう一つは「海外一人旅」である。


蝶々さんは「三十歳を過ぎて、この二つの経験をしてない男は魅力がない」という。


これでおわかりのように、男の魅力はルックスやファッションではないのだ。


もちろん、ルックスやファッションの価値がゼロというわけではない。


その価値が競われるのは、一人暮らしや海外一人旅を経験したうえでの話だ。


下手にモテる努力をする暇があったら、一人暮らしを経験してみること。


そして海外一人旅をしてみることだ。


この二つは男の生き方が問われるからである。

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