退屈な街のことや、つまらない催し物のこと、また、面白くもなんともないひどい場所のことについて人々が話しているのを、今まで何回聞いたことだろう。
まだ、その程度ならいいのですが、組織に入ると「〇〇があんなことをしていた」や「あそこの家は〇〇だ」「あいつは〇〇な奴だ」など、私にとっては非常に退屈であり、苦痛な事が日常的にあります。
だが、クリエイティブで活気のある人は、そのような話はしない。
彼らはどこにいても、その状態が気に入っているのだ。
なぜなら、彼らは、「今いるところは、ほかでもない私が、この瞬間にいるところなのだ。だから、その状態を嫌ったり、いやになってカッカしたりするくらいなら、逆に好きになったほうがよっぽどいい」。
このような姿勢をとっているからである。
著者は「ニューヨークはお好きですか」などと聞かれることもよくある。
クリエイティブで活気のあるあなたなら、もちろん好きになるだろう。
ニューヨークにいるときには、とくにそうだ。
ビスマークだって、バーミンガムだって、ベセズダだって、そこへ行けばきっと好きになるはずなのだ。
地理的な位置がどうかなど関係ない。
地理など、それぞれの特徴にすぎない。
一区画の土地、ということにすぎない。
あなたは、今住んでいる街も、家も、また出席しているパーティーも、そこで一緒にいる仲間たちも、好きになることができるのだ。
自分が今そこにいるのは、99パーセントは自分自身の選択によるものだということを意識すれば、なおさらそうなるはずだ。
残りの1パーセントだけが、あなたの関知しない純然たる「与えられた状況」なのである。
あなたのいる場所は常にあなた自身が決定している。
であるからには、気に入りそうもない場所へ行ってしまうことなどない。
そんな所へ行って何の得があるというのだろうか。
ただし、好きにはなれないけれども、現実問題としてそこから抜け出すことができない場合もある。
たとえば刑務所や会議室などにいる場合がそうだが、このような楊合は、別の場所へ行くというような選択権がもともとないのだから、好きになるもならないもない。
つまり、好きにならないという法など、もともとあろうはずがないのである。
自分が選んだ場所なのにもかかわらず、そこが好きになれないなどと言うのはやめなさい。
そんなことをして自分を犠牲にする習慣はやめるようにしなさい。
現在の状況について常に文句を言い、気分を害していると、ますますその状況がいやになる。
そんなことをするよりは、クリエイティブで活気をみなぎらせる機会をつくるように心がけることが大切である。
↓ 参考書籍
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