たった9つの「言い訳」をやめるだけで

心理・思考・時間


さて、心の中でも、あるいは話しことばにしてもいいのだが、とにかく自分自身のことばづかいに耳をすませてみてほしい。


必ずと言っていいほど、あなたを犠牲者にしているのはあなた自身なのだということがわかってくる。


ここに身近な例がいくつかある。


犠牲者という欄から本当に自分の名を消したいのなら、次のような考え方は、下取りにでも出して、もっとよい考え方と交換しなければならない。



「どうせ負けることはわかっている」


この種の考え方は、自分で自分にレッテルを貼って、みんなの犠牲者リストに載せてくれと頼んでいるようなものだ。


もしも、自分にふさわしい目標を勝ちとるつもりなら、敗者意識に甘んじることなど決してないはずだ。


「私は誰かと議論すると、いつもカッカしてしまう」


すぐにカッカするからといって、がっかりすることはない。


次のように考えを変えればいい。


「誰からもカッカとさせられはしないし、自分からカッカすることもしないぞ」と。


「私は凡人だからチャンスがない」


自分が凡人だ、小物だと思わない限り、あなたは凡人でも小物でもないのだ。


この種の考えは、相手を大物だと考えたとき、すでにあなたが自分を敗者の側においていることを物語っている。


このような考えを捨てて、ゴールに到達できると思えるなら、どんな状況だろうと自分から飛び込んでいきなさい。



「私は彼らの思い通りにはならないということを、あの連中にみせてやる」


一見、強そうに聞こえるが、こういう態度ではかえって負けてしまうのだ。


なぜなら、あなたの目標は、誰かに何かを見せつけることでも、誰かを見せしめにすることでもないからだ。


目標は、相手があなたから奪おうとするものすべてを、自分のものにすることだ。


見せつけや見せしめを目標にするとき、すでにあなたは、彼らに支配されてしまっているのである。


「こんなお願いをしたからといって、私に腹を立てないでほしい」


相手の憤慨を気に病むというのは、やはり相手の支配下にあることを意味する。



あなたが気にしていることを知ったら、相手はあなたを犠牲にするにきまっている。


効果がありそうなものなら、何でも利用するものなのだ。


「私がしたことを話せば、きっとバカなやつだと思うだろう」


ここでは、自分自身の考えよりも相手の考えを重視しようとしている。


しかし、愚か者と思われたくないために、他人の言いなりになってあやつられているようなら、間違いな<犠牲者になる。


そして思わくとは逆に、いつも「愚か者」の看板を貼りつけられるだろう。



「自分がしたいことをしたら、相手の感情を害するのではないだろうか」


これも最終的には、あなたが貧乏くじを引く結果となる。


感情を害されたと言い張ると、あなたの孝え方が変わるということを相手が知ったとしたらどうなるだろう。


あなたが既定の道からそれて自分の道を歩もうとしたり、独立を宜言したりしようとするとき、相手は確実にそれを利用するだろう。


「気分を害した」と人が言う場合、その95パーセントは戦術として言っているにすぎない。


あなたがその言葉にだまされやすく、すぐその気になるようなら、そういう手合いは何度でも感情を害されてみせるだろう。


他人の犠牲になりやすいのは、人を傷つけまいと始終気をつかって生活している人なのだ。


だからもし彼らが、そういった戦法が何の役にも立たないと知ったら、たいていのことには感情を害したりはしなくなるものだ。


「自分だけでは、さばききれない。自信のある人に代わってもらおう」


このように反応することは、何の教訓も与えてはくれない。


むしろ、犠牲になるまいとする決意の妨げとなり、足かせともなるだろう。


自分自身の闘いであるにもかかわらず、しだいにそんな自分自身であることに恐怖を覚えるようになる。


他人に代わってもらおうものなら、それどころか、あなたが対決を避けていることを知れば、人を犠牲にしても平気な人たちが、あなたのそばで「兄貴風」を吹かすようになるのは時間の問題だ。


そして、何度も繰り返し、つけ込んでくるようになる。


「それはフェアでない」


ここでは、あなたは世界をありのままに見ていない。


あなたの希望する世界を物事の判断基準としている。


そもそも人間はアンフェアなことをするものなのだ。


あなたがいくらそれがいやでも、いくら文句を言っても、アンフェアなことをすべてなくすのは不可能だ。


道徳的評価などせず、次のように言うことだ。


「彼らはこんなことをしている。それならこれこれの方法でそれに立ち向かい、つぐないをさせて、二度とそんなことをする気にならないようにしてやろう」


以上述べたことは、あなたを犠牲者にし、ついにはあなたを破滅の道へと導く考え方のごく身近な例である。


しかし、あなたが人格と教養とを磨けば、次のことが行なえるようになる。


(1)その後の成り行きを効果的に予測すること。


(2)自信を持つこと。


(3)その揚に応じてプランA、B、Cと実行すること。


(4)事を行なうにあたって、カッカしたり、コチコチになったりすることを断乎として拒絶すること。


(5)忍耐強く自分の求めるような人間に成長すること。


これらのことができるようになれば、必ずや、犠牲の95パーセントは防げるようになるだろう。


万一目的を達成できずに犠牲になることがあっても、あなたはこれらの自分の行動から何かを学ぶことだろう。


そして、今後八方塞がり的な状況に陥ったときには、それをうまく避けられるようになるはずだ。


物事が思うように運ばないからといって、傷ついたり、落胆したり、心配したりする必要などまったくない。


そのように気に病むことこそ、犠牲者に特有の反応だと覚えておいてほしい。

↓ 参考書籍

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