学問の世界というのは、一つのことに深く入り込んでいくことがほとんどだ。
自分の専門を決めたら、脇目も振らず打ち込んだほうが、業績を上げやすい。
誰も相手にしていないような分野でも、時間をかければ努力は結実する。
そういう例がいっぱいある。
だが、性格上からそんな生き方ができなかったことが幸いして、食物民族学ともいうべき新分野を切り開いたのが民族学者の石毛直道さんである。
石毛さんは子供の頃から考古学に興味をもち、大学でも考古学を専攻した。
ところが考古学というのは、大きな遺跡の発掘に従事すると、何年も同じ現場で研究をすることになる。
それが楽しいという研究者もいるが、石毛さんは一つの場所にじっとしているのが苦手なタイプだった。
それで大学の探検部に入って世界の秘境を旅して歩いた。
専門も考古学から自然に民族学に移っていった。
しかし秘境の研究も一つの地域に取りつくのがイヤで、いろいろなところへ行くことを考えた。
要するに石毛さんは、あちこち旅してみたかったのだ。
学問として成立させながら、この自分の望みを叶えるにはどうしたらいいか。
ある地域の一つのことをテーマにすれば、それを調べるためにあちこちを見て回れるということに気づいて、中心テーマにすえたのが「食」だった。
どこの秘境や非文明地域へ行っても、人間がいる限り食事はついて回る。
どんなものを食べているのか、どんな調理道具を使っているのか。
そういう研究に没頭すればするほど、あちこちへ出かけられる。
その積み重ねで、石毛さんは誰も研究していない人類の食行動に焦点を絞った研究領域を開拓するのに成功した。
ご自身がグルメであることも手伝って、食文化の研究では右に出るものがいない。
以上のような説明をすると、自分のテーマを真摯に追究する人のイメージがあるが、石毛さんご自身は今日までの軌跡を振り返ってこんな感想を述べておられるのだ。
「若い頃は勤勉や禁欲を大切にしなければと思ってたこともありますが、四十代になって自分は本質的に遊び好きで享楽的な人間であることに気づきました。ならば遊びに生きよう。そのほうが幸せな人生ではないかと考えるようになりました」
そんな石毛さんの人生観はとてもユニークだ。
それはこういうものである。
「人生は何かを達成するための生産の時間ではなく、面白いことをするための消費の時間。結果として何かが残ればいい」
決してあくせくした考え方をしないのだ。
それでいて前人未到の食文化研究で、数々の輝かしい業績を残せた秘密はどこにあるのか。
次の言葉にヒントがあると思う。
あるとき新聞のインタビューで石毛さんは、遊びに関してこんなことをいっている。
「遊びは目的をもった行為ではない。人生に不可欠でもない。だからこそ、そんなことにうつつを抜かすのが人間的ではないかと思っている」
うつつを抜かす・・・とは「心を奪われる」「夢中になる」ということだ。
道楽の世界からしばしば前人未到の発明などが生まれるのは、うつつを抜かすという行為が、人間のもっている能力を何十倍にも高めることがあるからだ。
そういう状態をフロー状態と呼びますが、まじめな人たちから後ろ指をさされることも珍しくない道楽者が、めげずにその遺伝子を残すことは、この先の人類の発展のためにも役立つと思う。
私たちも、面白いことをもっと優先した生き方をしてみようではないか。
↓ 参考書籍
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