「自分の価値」をどこまで信頼できるか

心理・思考・時間



静かに自己発揮するには、どうすればいいのか、について述べてみたいと思います。


ここで強調したいのは、「静かに」ということです。


「静かに自己発揮」するとはどういうことなのか。


つまり、自分の功績を意義あるものと確認するのに、それを他人に言う必要はないということだ。


日常の出来事を人に話すことはよくある。


他人に話すのがふさわしい場合もたしかにある。


けれども、人に言わなければ、他人に吹聴しなければ満足できないとなると、あなたはりっばな犠牲者である。


自分の語彙(ごい)の中に「しなければならない」ということばをいったん取り入れてしまうと、たえず他人にすがって認められようとしてしまう。


そして、何らかの理由であなたの価値や功績が他人に認められなかったりすると、あなたは挫折し、ついには、彼らによって心の糸を操作されてしまうようになるだろう。


静かに自己発揮するということは、同僚に向かって何度も自分の功績を自慢する必要などないということだ。


やむにやまれず自慢してしまったとしても、結局は周りからあの手この手で裏をかかれ、自慢したことに対して仕返しされてしまうだろう。


さて、静かに自己発揮するためのもっとも重要な鍵は、あなたが自分自身をどう感じているかにある。


あなたが自分を信頼しているなら、自己自身をよろこばせるだけで充分なはずだ。


「自己」そのものに価値があるからである。


けれども、自尊心が欠けている人の場合、自分を信頼できないので、自分の評価を他人に立証してもらいたがる。


ここに問題があるのである。


自分以外の人から自分の価値についての確証を得なければならないようになってしまうということは、犠牲者になることを自ら求めているのと同じなのだ。



【自信があれば本当の孤独を楽しめる】


自分の中に自信が芽ばえ、それが育ってくると、孤独というものがそれまで以上に心地によく感じられるようなくなる。


自分の話をとにかくみんなに聞いてもらいたい、などと思わなくなるのだ。


あなたが考え、感じ、口に出し、行動したことのすべてを、あらゆる人に理解してもらいたい、あらゆる人と分かち合いたいと考えることは、あなたを犠牲者にしてしまう。


プライバシーというものは、あなたの普段の生活の中でも非常に重要な部分で、しかも、幸福を実感するための必要不可欠なものでもあるのだ。


ことばを換えて言うと、個人的なものを秘めておくことが、他人に左右されないための方法なのである。


他人に理解される必要性をことさら感じないようなことについては、秘めておけばいいのだ。


といっても、遁世(とんせい)的生活の方法をここで論じているわけではない。


プライバシーを守るというあなた個人の権利を侵害してきたり、あるいはもっとひどい場合には、あなたのプライバシーを否定してあなたを犠牲者にしてしまおうとしたりする人たちに対しては、より警戒せよということである。


ウォールデンの湖畔で2年近くも一人で暮したヘンリー・デイビッド・ソローは、『森の生活』の中で、プライバシーについて次のように書いている。


人によくこう言われる。「あんなところにいると淋しくなって、もっと人気(ひとけ)のあるところに住みたいと思うでしょうね……」。


それに対して、私は次のように答えたい衝動にかられる。


「ちっとも淋しいなんて感じません。この地球も銀河系の中に一人ポツンとあるのではなかったのでしょうか・・・」


大部分の時間を一人で過ごすのはむしろ健全なことだと思う。


最高の相手と一緒にいるときでさえ、やがては退屈したり、疲れきったりしてしまうからだ。


私は人でいることをこよなく愛する。


私たちはみんなソローその人ではないし、今は彼が生きた時代とは違うけれども、彼のことばは今日もなお真実なのである。


自分自身の満足を得るために、どうして人々の傍らにいる必要があるのだろうか。


そのような必要もなければ、彼らに理解してもらう必要もないのだ。


もしもあなたが、彼らに理解してもらいたいといった期待を持ったり、あるいは誰かからそう期待されているのをそのままにしているとしたら、あなたは犠牲者になってしまっている。


プライバシーを守るなどと言って、周りの人間を拒否しているだけではないかといい張る人もいる。


そんなときはとりわけ、自分のプライバシーを主張するのは勇気がいる。


しかし、自分の考えや気持ちを彼らに説明しても、それは結局骨折り損なのだ。


あなたはただ自分のプライバシーを守る権利を身をもって実践するだけでいい。


こうした態度を頻繁にとれば、あなた自身がどう扱われたいのかを示すことができる。


いつまでも説明したり分析したりしていても、犠牲にされているように感じるだけなのだ。


そして結局はプライバシーを奪われてしまうのがおちである。

↓ 参考書籍

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