【ほどほどに上品で、ほどほどに下品がいい】
生まれながらにして裕福な人は気品を備えているが、逆境に弱いところがある。
一方で、貧しさの中で育った人には雑草のようなたくましさはあるが、粗野なところがなかなか抜けない。
いずれにせよ、生きづらいもので、そこを自覚して、自分の足らざるを磨いていかなければならない。
人間には二面性、「気高さ」と「荒々しさ」を表しているようにも思えます。
たとえば、経営者には大ざっぱに言って、二つのタイプがあります。
一つは、父や祖父、あるいは先祖代々が財を成した裕福な家に生まれ育ち、家業である事業を継承したタイプ。
いつゆる「お坊ちゃん社長」で、生まれながらに気品が備わっています。
ただ往々にして、ぬくぬくと育った分、逆境に弱く、そのため事業を傾かせる例が少なくありません。
もう一つのタイプは、貧乏のどん底から這いあって、自ら起業した叩き上げの経営者です。
どんな困難もものともせずに突き進むたくましさはあるものの、粗雑さが抜け切らない。
悪く言えば、いささか下品なために、一流の人の仲間入りを果たせずに終わる場合が多々あります。
両者に共通しているのが、人格に偏りがあることです。
人格のバランスが取れていないという部分では同じで、いずれも最終的にはうまくいかないのです。
本当の一流の人というのは、そう称するにふさわしい気品がありながら、浮世離れしているわけでもなく、ときに荒っぽいこともできる人のことです。
わかりやすく言えば、「ほどほどに上品で、ほどほどに下品な人こそが生き方上手になれる」ということです。
若いうちはがむしゃらでもいいです、どん欲に成功を求めて、突っ走る。
そうして、たとえば起業家なら上場を果たすとか、会社員なら管理職になるとか、当面の目標を達成したら、今度は自分の中の粗雑な部分をどんどんそぎ落としていくことに努めてください。
つまり、当面の目標を分岐点に、そこから自分を磨くことを考えてください。
教養の幅が広がる豊かな時間を持つことがポイントです。
本書には、古典を親しむとか、芸術の世界に遊ぶ、茶道、華道、書道などの「道」のつく趣味を持つと書かれています。
若い皆さんはまだがむしゃらな時代の中にあると思いますが、これから少しずつ、自分を磨くことにも精を出してください。
「〇道」も良いのですが、私的には「読書」をおすすめします。本一冊、1500円前後で購入出来て、たくさんの知識を手に入れられます。
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【常に心身のバランスを整えよ】
第一に、体の健康を保つことが大事。
そうでなければ、心の健康が乱されます。
しかし、心もまた健康でなければ、体に悪い影響をおよぼす。
体と心は一つと捉え、バランスを整える。
それが健康の基本である。
いまは世をあげての「健康ブーム」です。
健康でなければ、何をするにも気力がわかず、愉快な人生を送ることができなくなるので、それ自体は大変良いことです。
ただ、健康に気をつけるにしても、体と心のどちらかに偏っている人が多いように見受けます。
体と心は表裏一体。
心身のバランスが整って、初めて健康を手に入れられることができるのです。
体の健康のほうは、皆さん、気をつけるべき点を心得ていると思います。
私のブロブでも、「健康」をテーマにした内容が多々あります(ぜひ!)。
栄養バランスのいい食事をするとか、食べ過ぎない、飲み過ぎない、良質な睡眠を取る、適度な運動をする、といったことがあげられます。
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残念ながら、現代人はわざわざ健康を損ねるような生活をする傾向がありますが、そこは意を決して、健康を損なうとされている生活習慣はすべて、「ほどほど」もしくは「やめる」ように心がけてください。
問題は心の方です。
無頓着な人が意外と多いので、そのため無理をして心が病んで心療内科などのお世話になる方が増えているという現実もあります。
では、心の健康を乱すものは何か。
一つあげると言えば、必要以上に「欲」に振り回されていることでしょう。
出世したい、成果をあげたい、お金を儲けたい、人から良く見られたい・・・そんな欲で、心身ががんじがらめになっているのです。
なぜそれが心の健康を損なうかと言うと、心身を固くしてしまうからです。
そうなると、頑固にもなるし、頭も固くなる、物事を柔軟に考えて対処することができなくなり、いろんな問題が生じて、悩みも増えるわけです。
力を抜いて体も心もふにゃふにゃにする一方で、気は抜かない。
何事も、適度な緊張感を持ちながら、リラックスして行えばうまくいきます。
始めは難しいかもしれませんが、無用な欲から離れ、「なるようになるさ」くらいに、気楽に構えていればいいのです。
赤ん坊は生気にあふれているのに、心身はとても柔軟です。
何の欲もなく、あるがままに生きているからです。 赤ん坊に戻ることはできませんが、見習うことはできますよね。
【教養はうっかりこぼれ出るものと知る】
言葉は自然とこぼれるもの。
ペラペラとまくし立てるものではない。
天地が起こす台風も豪雨も二日と続かないのだから、人間ごときがしゃべり続けるなんて到底できやしない。
そんな言葉は信じるに足らない。
老子は「不言の教え」とされているように、言葉に価値を置いていません。
「げっぷのように自然とこぼれ落ちてくる言葉なら、まぁ、信じることができるね」という考えです。
近年は、プレゼンテーションでも会議でも、往々として、とにかく立て板に水のごとく、ベラベラとしゃべることが求められますが、それとは全く逆。
そんなに無理して多くの言葉を出すことが自体が、不自然だとしているのです。
これを台風や豪雨にたとえて、「天地だってそんなに無理は続かない」と言っているところが、おもしろいとことです。
自分の発言に対して、それが無理してひねり出した言葉なのか、自然にこぼれ落ちた言葉なのかを、いま一度反省してみる必要がありそうですよね。
その意味では、教養も同じですね。
大してありもしない教養をひけらかすなど、不自然の極みです。
インプットとアウトプットの関係で言えば、大量のインプットがあって、限界点でスッと抜けていく。
そのくらいがちょうどいい。
何かの拍子に「教養がにじみ出る」ことが大切です。
そういう人間になるためにも、「黙して語らず」。言葉や教養が自然とこぼれ出るくらいにまで実力を磨くことを心がけてください。
↓ 参考書籍
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