あなたは、自らの世界を予言することもできないし、予言者にも決してなれはしない。
また、すべての人に理解してもらうことなど不可能なのである。
にもかかわらず、常に他人に自分の立場を説明し、立証しなければならないと思っているとしたら、あなたはいまに犠牲者になってしまうだろう。
あなたは自分自身のために何か事を起こすことができるし、またそのことを誰にもばう必要はない。
すべてあなたの自由に任されているのである。
「静かに自己発揮する」ということは、このような自由を持っていることを正しく認識し、世間に向かって「私の勝手でしょ」と、ちょっとウインクできることを意味している。
すべての人間から正しく評価されようなどと思った日には、それこそこの地球から離れて遠い宇宙の彼方へでも行ってしまわなければならないだろう。
つまり地球上では不可能なことなのだ。
このことが理解できれば、他人に理解されなければならない、評価されなければならない、といった愚かな「必要性」を捨て去り、人生をより楽しいものにできるだろう。
この世に存在する間に、あなたは人生をすばらしいものにできるのだ。
ドストエフスキーはこれらのことを知っていた。
『カラマーゾフの兄弟』でこう書いている。
「人間は予言者を拒絶し殺害する。しかし、すでに殺してしまった殉教者や名誉ある人物は愛するものである」
しかし、たとえ精神的にとはいえ、殺されることをなぜ黙って容認しなければならないのだろうか。
さらには、これはもっと重要だが、名誉を得るためになぜ死ぬまで待っていならないのだろうか。
そのようなことをする必要はまったくない。
現在を生きる決心をし、すべての人から理解される必要などないと認めればいいのである。
決断するのはあなただ。
【信念を持っている杭は打たれない】
もし、あなたが人から尊敬されたいと思うならば、尊敬を受けている人をよく観察して癖みればいい。
弱さをもとにして行動していたのでは、自分もふくめて誰の尊敬も得られないということかすぐにわかるはずだ。
自分を断乎として押し通したら人に嫌われるかもしれない、などといったつまらぬ考えは捨て去らなければならないのである。
キャシーという患者が、このような教訓を実際にどのようにして学んだかを、私に語ってくれた。
彼女はある研究会に参加することになっていて、前もって登録もし、席も確促していた。
ところが会場へ行ってみると、定員オーバーなので他の建物でやっている別の集会に行くように、と講師から言われたのである。
今までとは異なり、数ヶ月間のカウンセリングで彼女は自分の意志を貰き、危険を冒す勇気を身につけていた。
彼女の決意は固まっていた。
大勢の前でその講師に向かって、絶対に聴講させてくれるように主張した。
講師が「はい、でも……」と逃げ口上を繰り返し、彼女を思いとどまらせようとしても、頑として受け入れなかった。
とうとう講師のほうが折れて、聴講してもいいが、登録係には内緒にしておいてくれということになったのだった。
主催者側が決めた定員規約に反するからということだったのだ。
数時間後、その研究会でキャシーの強引なふるまいが話題になった。
彼女は内心、招かれざるところにむりやり押し入ったいやなやつ、と思われているだろうと考え、恐ろしかったという。
ところが実際は彼女の予想に反して、研究会の参加者全員が、彼女をりっぱだと思い、陰ながら声援を送っていたことがわかったのである。
さらに、どのようにしたら彼女のように危険に立ち向かうことができるのか、大勢の前でも犠牲にならずに済むのかを教えてほしい、と言う感想さえ出たのだった。
キャシーは驚きに目を輝かせて、私にこの出来事を語ってくれた。
「想像してみてください」と彼女は言う。
「みんな、本当にこの私に教えを求めたのです。いつも、自分でも用心深くて臆病だと考えている、この私に!」
「人と超人」の中で、ジョージ・バーナード・ショーは、危険を冒すことで得られる精神的な強さと充実感について、こうまとめている。
「人生の真の喜び、それは、自分でもすばらしいと認めた目的のために役立つ存在であること、世界が自分の幸福のために何もしてくれない、と不平不満をまくしたてる、利己的なくだらない土くれではなく、自然の力である存在になることだ」
↓ 参考書籍
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